党内指名候補争い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 03:27 UTC 版)
銀派は自分たちの信念を共有する候補者を指名したいという願望があり、また、いくつかの州が代議員に特定の候補者に投票するよう指示していたにもかかわらず、大会に向けて圧倒的な人気候補者は不在であった。指名に必要な代議員の3分の2の票があれば、ほぼすべての銀派が同じ候補者に投票しなければならず、成功を保証することはできなかったが、金派の組織的な支持があれば、銀派の候補者のチャンスは大きく損なわれてしまう状況であり、事実上金派が拒否権を持っていた。 民主党の大統領候補として選挙運動を展開したのはジョン・カーライル財務長官だけであったが、彼は誰が党を率いるかよりも党の綱領を重視していたため支持を集められず、4月に撤退を余儀なくされた。しかし、6月後半になっても、民主党全国委員会(DNC)を支配していた金勢力は、候補者が親金派である可能性を信じ続けていた。クリーブランドの友人で元郵便局長のドナルド・M・ディッキンソンは、1896年6月に大統領に手紙を出し、代議員たちが「常識」を認め、過激派を指名するという考えに怯えないようにしてほしいと懇願した。 銀運動の指導者の一人にイリノイ州知事のアルトゲルドがいたが、ドイツ出身の彼は憲法上、大統領職に就くことができなかった。大会に向けては、ブランド・アリソン法を発案したブランド元下院議員と、アイオワ州のホレス・ボイーズ元知事の2人が有力候補となり、ブランドが優勢とされた。この2人の候補者は、代議員票を確保するために組織を結成した唯一の候補者であったが、どちらも資金不足であった。二人とも支持獲得にあたり問題を抱えていた。61歳のブランドは時代遅れの人物と見られていたし、ボイズは元共和党員で、かつて複本位制を批判したこともあった。他にはイリノイ州のアドレー・E・スティーブンソン副大統領、ケンタッキー州のジョセフ・ブラックバーン上院議員、テラー上院議員、ブライアンなど、支持率が低いと見られていた候補者が多数いた。
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