党内影響力の低下とは? わかりやすく解説

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党内影響力の低下

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 06:57 UTC 版)

アーチボルド・プリムローズ (第5代ローズベリー伯爵)」の記事における「党内影響力の低下」の解説

ローズベリー伯辞職後、ハーコート自由党党首となったが、嫌われ者ハーコートでは党内をまとめられず、1898年暮れには彼も党首職を辞することを余儀なくされた。代わってヘンリー・キャンベル=バナマン党首となった保守党政権第二次ボーア戦争開始するローズベリー伯ハーバート・ヘンリー・アスキスやリチャード・ホールデン(英語版)らとともに自由帝国主義派」として政府の方針支持しロイド・ジョージ戦争反対する党内左派(「親ボーア派」と呼ばれた)と対立した当初自由帝国主義派が優勢だったが、ボーア戦争戦況泥沼化してくると党内空気は親ボーア派に傾いていき、曖昧な立場をとってきた党首キャンベル=バナマンも親ボーア寄りになっていった。 1902年初頭ローズベリー伯自由党アイルランド自治法案方針反対表明しアスキスエドワード・グレイとともに「自由連盟英語版)」を結成し党首キャンベル=バナマン対す公然抵抗開始したこの分騒動自由党内は極度混乱状態に陥った。 しかしちょうこの年からローズベリー伯党内権力急速に低下した。特に1903年以降になると自由帝国主義議員の中で最も重要な大物議員見做される人物ローズベリー伯ではなくアスキスになっていた。その原因第2次ボーア戦争終結でもはや帝国問題大きな争点にならなくなり自由党内の最大関心事項植民地大臣ジョゼフ・チェンバレン関税改革論(保護貿易論)への批判移ったため、自由帝国主義派と自由党左派対立自由貿易支持という共通の大義のもとに終息したことだった。この点においてローズベリー伯あまりに保守党政権態度をとりすぎたため、チェンバレン保護貿易論にも明確な反対意思打ち出せなかった(対してアスキスチェンバレン保護貿易論を徹底的に批判した)。これでは自由貿易党是とする自由党内で影響力落ちていくのも無理はなく、ローズベリー伯自由帝国主義派の議員たちから見捨てられてしまったのだった1904年11月キャンベル=バナマンが「アイルランド自治法案斬新的に進める」と宣言した時、ローズベリー伯はこれに反対表明したが、かつての同志たちアスキスグレイホールデンはいずれキャンベル=バナマン方針支持表明している。すっかり孤立して党内権力喪失したローズベリー伯は、政治家というより知識人層に訴えかける政治評論家的な存在化していった。

※この「党内影響力の低下」の解説は、「アーチボルド・プリムローズ (第5代ローズベリー伯爵)」の解説の一部です。
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