偽「ヒトラーの日記」事件
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「ヒュー・トレヴァー=ローパー」の記事における「偽「ヒトラーの日記」事件」の解説
67歳になった1980年、トレヴァー=ローパーはケンブリッジ大学ピーターハウス・カレッジ (en) の学寮長に選出された。彼の選出はイギリスの歴史学会にとっては全くのサプライズ人事であった。トレヴァー=ローパーを担いだのはピーターハウス・カレッジの歴史学者たちの指導者で、保守派のモーリス・カウリング (en) であった。こうした選出経緯にもかかわらず、トレヴァー=ローパーとピーターハウス・カレッジの保守的な研究員たちとの関係はうまくいかなかった。 1983年、トレヴァー=ローパーの輝かしいキャリアは、「タイムズ」誌の協力者としていわゆる「ヒトラーの日記」を本物と「認めた」ことで、失墜することになった。「ヒトラーの日記」の真贋に関する他のヒトラー研究の専門家たちの意見は分裂していた。例えば、デイヴィッド・アーヴィングは当初はこの「日記」を偽書だとして非難したが、その後に意見を変えて本物だと主張した。その他の2人の専門家、エーバーハルト・イェッケル (en) とガーハード・ワインバーグ (en) も、「日記」に本物とのお墨付きを与えていた。しかしトレヴァー=ローパーの承認から2週間と経たないうちに、法科学者のジュリアス・グラント (en) が、日記が明白に偽物だということを証明した。この事件でトレヴァー=ローパーが恥辱をこうむると、ピーターハウス・カレッジの敵対者たちやその他の人々は、公然と彼を嘲笑した。 トレヴァー=ローパーが真偽不明の日記を早々に本物だと認めてしまったことで、世論は彼の歴史家としての洞察力のみならず、その清廉潔白ささえも疑うようになった。その理由は、トレヴァー=ローパーが書評を寄稿し、また彼に独立製作顧問の地位を与えていた「サンデー・タイムズ」 (en) 紙が、大金を積んでこの日記を連載する権利を得ていたことである。トレヴァー=ローパーは日記の承認はいかなる不純な動機からでもないと訴え、日記の「発見者」からの入手経緯についての説明から、ある程度の確証を得たのだが、この確証は間違っていたのだと述べた。風刺雑誌「プライベート・アイ」 (en) 誌は、トレヴァー=ローパーに「Hugh Very-Ropey(ダサいヒュー)」というあだ名を付けた。この事件はトレヴァー=ローパーの研究者としてのキャリアを大きく傷つけたが、彼はそれでも研究と執筆活動を続け、その著作は高い評価を受け続けた。 1991年、イギリスではこの事件を基にしたテレビドラマ「Selling Hitler」が製作され、アラン・ベネット (en) がトレヴァー=ローパーを演じた。同番組で、日記の「発見者」を装ったドイツ人記者ゲルト・ハイデマン (en) を演じたのはジョナサン・プライス、「日記」を偽造したイラストレーター、コンラート・クーヤウ (en) を演じたのはアレクセイ・セイル (en) だった。
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