健康と鬱の悪化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 06:25 UTC 版)
エジプト侵攻に失敗した前673年までに、エサルハドンの健康悪化が明らかになっていた。アッシリア王であることの主要な要件の1つが完全な精神的・肉体的健康であったため、これは問題を引き起こした。エサルハドンは常に何らかの病気に苦しんでおり、しばしば宿営で飲食をせず人とも接触することなく何日も過ごした。彼が寵愛した妻、エシャラ・ハンマトの死と同じ年に彼の体調が改善した可能性はほとんどない。現存する多くの宮廷文書が、エサルハドンがしばしば悲嘆に暮れていたこと示している。妻の死、そしてその頃生まれたばかりの幼い子供の死によってエサルハドンは陰鬱になっていた。このことはエサルハドンの祓魔師の長で、エサルハドンの健康に主たる責任を負っていたアダド・シュマ・ウツル(Adad-shumu-usur)の手紙から明確に見て取ることができる。手紙の一例は以下のようなものである。 王、我が主は、私に「余は悲嘆に暮れている。この小さな我が子のために陰鬱になってしまっている。余はどうすれば良いのだろうか?」と書き送られました。もしそれが治癒可能なものであったならば、陛下は私に王国の半分を与えてくださることでしょう!しかし我々に何ができましょうか?おお、王、我が主よ、それは不可能なことなのです。」 エサルハドンの侍医を含む王宮の人々によって書き留められたメモと手紙では彼の体調について詳細に説明され、激しい嘔吐、繰り返される発熱と鼻血、眩暈、強い耳の痛み、下痢と陰鬱な精神状態について議論されている。エサルハドンは死が迫っていることを頻繁に恐れており、彼の健康状態の悪化は全身を顔面を含めて覆った発疹を見れば誰の目にも明らかなものとなっていた。侍医たちは恐らくアッシリアの最高の医師であったが、困惑しており最終的には自分たちに王を治癒する能力がないことを白状せざるを得なかった。このことは次のような手紙で明確に表されている。 我が主、王は「なぜ余の病の性質を特定し治療法を見出さないのか?」と私に問い続けておられます。既に直接申し上げたように、陛下の症状は判別不可能です。」 アッシリア人は病を神罰と見なしたので、病にかかった王は神の加護がなくなったものと見なされた。このことから、エサルハドンの健康不安は如何なる対価を支払っても国民に隠しておかねばならなかった。王に謁見する際には誰であれひざまずき、ヴェールをかぶらなければならないというアッシリアの伝統により、彼の病は臣民たちに隠し通すことができた。
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