作品成立・モデル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/16 13:47 UTC 版)
三島由紀夫は『複雑な彼』の執筆のきっかけと動機について、以下のように語っている。 「複雑な彼」は、ある友人からきいた話をもとにして書いたもので、私に多少外遊の経験があるものだから、自分の知つてゐる土地を、この奔放な主人公に、自由自在に飛び廻らせてみたかつた。それほど行動力のない私の代理で、主人公に飛び廻つてもらつたやうなものだ。 — 三島由紀夫「大映映画『複雑な彼』―原作者登場」 この〈ある友人〉というのが安部譲二のことで、安部は後年に、「『複雑な彼』は、私の二十七歳までの半生記で、背中に彫物が……等の細部を除けば、なんとも私が生きて来た事実そのままです」とし、三島との出会いについては、「思えば、三島由紀夫先生と私は永い御縁でした。あれは昭和二十八年頃のこと、私が初めて用心棒を組から命じられたゲイバーで、私は先生とお近づきになったのです」と語っている。 なお、三島は〈複雑な彼〉という意味について、〈ある意味で実に単純に男性的な人間を、女性の側から見た表現といへるでせう。われわれは、自分と反対の性を、ともすると神秘的に見すぎるのです〉と説明しながら、この主人公についてと、田宮二郎が映画でその役をやることになった経緯について以下のように述べている。 彼の行動は男性の夢ですが、ふつうの男はとても彼のやうに、かつて気ままには、ふるまへません。だれしもわが身がかはいいので、いいかげんのところで妥協して、身をかばひます。しかし、彼はちがひます。彼はいつか自分の自由のためにつまづかなければならない。かういふふうに、男が男であるためにつまづく、といふ例は現代ではますます少なくなつてゆく。男性の女性化とは、男性の自己保全であり、なるたけ安全に生きよう、失敗しないで生きようとすることを意味します。この小説の校正刷りを読んで、私の学校の後輩である田宮二郎君が、「この役をやれるのは日本中で俺一人だ。」と公言したことから、大映で映画化されることになりました。“その意氣たるや壮”であつて、俳優はそれくらゐの気概がなくてはなりません。 — 三島由紀夫「『複雑な彼』のこと」
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