作品の誕生と忘却
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 02:10 UTC 版)
「ランスへの旅、または黄金の百合咲く宿」の記事における「作品の誕生と忘却」の解説
1825年のシャルル10世の戴冠式のため、パリ中の劇場が戴冠式とフランスの栄光を讃えた作品を上演する事を計画していたが、当時パリの王立の歌劇場であったイタリア劇場(英語版、フランス語版)の音楽監督に就任していたロッシーニも例外ではなかった。彼の戴冠式を記念して新国王とブルボン家の復古王政を讃えるためにこの作品の作曲に着手したのだった。なお、歴代のフランス国王の戴冠式はランスの大聖堂で行われてきたが、シャルル10世の戴冠式が結局はランスでおこなわれた最後のものになった。現在、ランスのトー宮殿には、このときの戴冠式で使われた品々などが展示されている。 こうして、フランスの保養地プロンビエールにあるホテル「黄金の百合」(フランス国王の紋章はフルール・ド・リス、すなわち青地に金色の百合の花)を舞台にして、戴冠式を見に来たヨーロッパ各国の人々が1825年5月28日(これはシャルル10世の戴冠式の前日)に繰り広げるたわいのないドタバタコメディーが完成したのである。 完成した作品は、戴冠式で盛り上がる1825年6月19日にパリのイタリア劇場で初演され、ジュディッタ・パスタをはじめとする、当時パリで活躍していた最高のベルカント歌手ばかりがキャステングされたことと、題材のタイムリーさで大成功を収めた。この作品を評して作家スタンダールが「ロッシーニの最も優れた音楽」と呼ぶほどであった。 しかし戴冠式の熱狂が去ると、この期間限定の作品は劇場のレパートリーから消え、作品の楽譜もロッシーニ自身によって回収され、そのメロディーの一部が『オリー伯爵』(1828年初演)に転用された。そしていつしか楽譜も散逸し、この作品が上演される事はなかった。
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