佗美浩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/25 04:56 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動佗美 浩 | |
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生誕 |
1891年5月2日 愛媛県松山市 |
死没 | 1970年12月25日(79歳没) |
所属組織 |
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最終階級 | 陸軍少将 |
佗美 浩(たくみ ひろし、1891年5月2日 - 1970年12月25日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。太平洋戦争開戦直後のコタバル上陸作戦を指揮した。
略歴
- 1904年(明治37年)4月-松山中学入学
- 1905年(明治38年)9月-広島陸軍幼年学校入校
- 1912年(明治45年)5月-陸軍士官学校卒業(24期)
- 1915年(大正4年)-歩兵中尉
- 1922年(大正11年)-歩兵大尉
- 1925年(大正14年)-東京陸軍幼年学校副官
- 1926年(昭和元年)[元号要検証]-歩兵第22連隊中隊長
- 1929年(昭和4年)-歩兵少佐
- 1930年(昭和5年)-歩兵第23連隊大隊長
- 1934年(昭和9年)-歩兵中佐
- 1935年(昭和10年)-東京陸軍幼年学校生徒監
- 1937年(昭和12年)-仙台陸軍幼年学校訓育部長、陸軍大佐
- 1938年(昭和13年)-歩兵第88連隊長
- 1940年(昭和15年)-陸軍少将・歩兵第23旅団長としてビルマ作戦に参加。
- 1942年(昭和17年)-善通寺俘虜収容所所長
- 1944年(昭和19年)-予備役
- 1945年(昭和20年)-羅南地区司令官
- 1950年(昭和25年)-シベリアから復員
栄典
著書
- 『コタバル敵前上陸』プレス東京、1968年
脚注
- ^ 『官報』第167号「叙任及辞令」1913年2月21日。
関連項目
参考文献
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
固有名詞の分類
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