体育としての柔道(体育法)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 18:09 UTC 版)
「講道館」の記事における「体育としての柔道(体育法)」の解説
日本伝講道館柔道の創始者である嘉納治五郎は、武術に教育的価値を見出し整備した武道のパイオニアであり、武術家としてその実績から「維新以降百年の柔術界の最高の偉人」 と評される武術・柔術界の第一人者であった。 それと共に、教育界における教育者としての観点からも、若くして学習院大学教頭や東京高等師範学校(のちの東京教育大学を経て筑波大学)校長などを歴任し、灘中学校・灘高校の設立にも尽力するなど第一人者であった。 また体育面・日本体育における観点においても「日本体育の父」、「教育上、体育を尊重し、体育の地位の向上をせしめたる卓見と努力は、他に比較すべき人を見ない」 と言われるように卓越した見識を持ち、アジア初のオリンピック委員、大日本体育協会初代会長などの実績からも見られるように、嘉納は武術家・武道家としての面以外にも教育者としても卓見であり、また西洋の他の格闘技や体育・体操・スポーツへの知識、造詣も深くあった。
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