佐藤首相の密使とは? わかりやすく解説

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佐藤首相の密使

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 13:42 UTC 版)

若泉敬」の記事における「佐藤首相の密使」の解説

1966年頃から、面識のあった愛知揆一紹介時の首相佐藤栄作接触するうになる佐藤は「沖縄祖国復帰実現しない限り日本の戦後終わったとは言えない」と演説したように、沖縄返還並々ならぬ熱意持って臨んでいた。翌1967年昭和42年)、自由民主党幹事長福田赳夫通して沖縄問題についての米国首脳意向内々探って欲しいとの要請伝えられこれを期に密使として度々渡米し極秘交渉を行うこととなる。若泉会ったのはアメリカ国家安全保障会議スタッフモートン・ハルペリンであった。ハルペリンは沖縄返還交渉方針決めた国家安全保障覚書13号起草であった。 「抜き・本並み返還道筋見えてきたところ、日米首脳会談直前1969年昭和44年9月30日国家安全保障担当大統領補佐官ヘンリー・キッシンジャーより、「緊急事態際し事前通告をもって核兵器を再び持ち込む権利、および通過させる権利」を認めるよう要求するペーパー提示された(なお、密使としての活動で、若泉コードネームヨシダ」、キッシンジャーは「ジョーンズ」を用いた)。同年11月10日 - 11月12日再交渉で、若泉は「事前通告」を「事前協議」に改めるよう主張諒解を得る。この線で共同声明シナリオ練られることとなり、11月21日に発せられた佐藤=ニクソン共同声明で、3年後沖縄返還決定されることとなった。 なお若泉は極秘交渉の経緯記した著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文藝春秋1994年)において、持ち込み繊維問題について作成した日米秘密合意議事録存在について触れている。同書によれば佐藤ニクソンは、ウエストウイングオーバルオフィス隣の「書斎」で、二人きりになって署名したという(この覚書佐藤により持ち去られ、のち2009年平成21年)に本人宅で発見された)。

※この「佐藤首相の密使」の解説は、「若泉敬」の解説の一部です。
「佐藤首相の密使」を含む「若泉敬」の記事については、「若泉敬」の概要を参照ください。

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