住宅街と人口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 01:02 UTC 版)
千代田区と全国の年齢別人口分布(2005年) 千代田区の年齢・男女別人口分布(2005年) ■紫色 ― 千代田区■緑色 ― 日本全国 ■青色 ― 男性■赤色 ― 女性 千代田区(に相当する地域)の人口の推移 総務省統計局 国勢調査より 明治維新後に徳川将軍家が駿府(現在の静岡市)に転封になった際には、当区の北西部に居住していた旗本・御家人が大量に失業状態になって屋敷を引き払ったことなどが影響して人口が激減し、区北西部の旗本屋敷街は一気に無人状態に陥ることになった。旗本屋敷跡のうち、神田地区には一般市民などが移り住む、学校が開設されるなどの形で民間の市街地となり、番町地区や麹町地区には明治政府の官僚などが移り住んだことから高級住宅街となっていった。こうした新たな住民の流入により人口がいったん回復し、1919年の第1回国勢調査では約22万人となっていた。 しかし、関東大震災で大きな被害を受け、復興の過程で郊外の鉄道沿線に住宅街が発達したことから住民が流出し、再び人口が減少することになった。 第二次世界大戦時には統制で通常の書籍の出版がほとんど行われなくなり、丸の内などのオフィス街も統制機関や軍需機関などによって接収されるなどしたため、民間の活動はほぼ壊滅状態となったうえ、空襲で区内の民家の大半が焼失したことから、旧神田区が2万1,506人、旧麹町区が1万435人の合わせて3万1,941人まで人口が減少した。 一番町から六番町を総称して「番町」と呼ばれる千鳥ヶ淵に隣接する皇居の西側の地区は、セブン&アイホールディングスやそのグループ会社(セブンイレブンジャパン、イトーヨーカ堂、そごう・西武など)の本社や大使館などが立地しているオフィス街であると同時に、高級住宅街にもなっている。
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