会派問題・信仰告白問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 17:20 UTC 版)
「日本基督教団」の記事における「会派問題・信仰告白問題」の解説
合同教会を形成するにあたって、1) 旧教派の組織の存続を公式に認めて「教派連合」的なものとするか、2) 旧教派の組織を公式には解散して一体の教団組織を形成するか、という議論である。1) は教派ごとの教会機能の維持を志向する旧福音ルーテル教会や旧日本基督教会の一部がおもに主張し、2) は自らの教派的伝統・主張に有利な形で教団の全体教会化をめざしていた旧日本基督教会の一部がおもに主張した。一方、旧日本組合基督教会や旧バプテスト教会は、各個教会の主体性に関心が高かったため、その観点から発言していた。また、旧日本メソヂスト教会は会派問題そのものには関心が薄かった。 会派問題は、1950年の第6回教団総会において「会派問題に就いての報告書」が報告、承認され、教団として2)の方針を採ることとなった。 会派問題とともに、新たな合同教会の形成のために何を信仰の柱とするかも課題であった。当然、旧日本基督教会は、戦前からの主張どおり信仰告白の制定を求めるが、1)信仰告白制定の是非、2)信仰告白の内容、3)信仰告白の規範的拘束性、などをめぐって議論がなされた。1)については、信条を重視する旧日本基督教会や旧福音ルーテル教会の強い要望で、制定の方向性が定まった。2)については、旧日本基督教会の信仰告白をベースとしながらも、各教派の伝統を盛り込んだ内容が新たに起草されることとなった。 3)が最も議論となった点で、信仰告白の規範的拘束性を求める旧日本基督教会と、拘束性を認めない旧日本組合基督教会や旧バプテスト教会の壁は大きかったが、教団信仰告白制定特別委員会により「信仰告白の拘束性は福音的に受け取るものであり、律法的に受け取ってはならない」「福音的な受け取り方とは、告白された福音がおのずから告白者を福音に従順ならしめるという意味である」などの説得が各教派になされ、1954年の「日本基督教団信仰告白」の制定にいたった。 この経緯の中で、会派を否定された旧福音ルーテル教会はほとんど教団を離脱した。また、旧日本基督教会は、自らの教派的伝統・主張に有利な形で教団の全体教会化をめざすグループと、教団内に会派をおいて他教派と共存しながらより改革長老教会的な教会形成をめざすグループに分裂し、後者は会派否定や信仰告白制定のあり方に不満を持って教団を離脱し、1951年に新日本基督教会、現、日本キリスト教会を設立した。信仰告白制定後には、教団にとどまっていた米国バプテスト同盟系の旧バプテスト教会の一部が、バプテスト教会の各個教会主義や信仰の伝統の維持に懸念を示して教団を離脱し、1958年に日本バプテスト同盟を設立した。
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