伊那シネマクラブ
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1982年には伊那シネマクラブが設立された。伊那旭座の休館日である火曜日のうち月1回(第2火曜日)を上映会に設定し、フィルムの交渉や映写は伊那旭座に任せて上映会を行っている。伊那旭座の2階部分には伊那シネマクラブの事務局用の部屋がある。初上映作品はクロード・ルルーシュ監督によるフランス映画『愛と哀しみのボレロ』であり、伊那地方の映画館では観られない映画を旭座で上映していた。クラブの会員は最大で250人に達した。 運営委員は会員から会費を徴収し、上映作品の選定や会の運営に携わっている。運営委員が新聞や雑誌の映画評などから候補作を選定し、会員の投票によって上映作品が決定される。当初の上映作品は『マイ・フェア・レディ』や『生きる』(黒澤明監督)などの名作が多かったが、近年では会員の希望で新作(数か月前に封切られた作品)が多い。 1982年の設立直後の会員数は320人に達したが、2007年時点では180人だった。設立直後は31歳の守谷勝好会長が運営委員の最高齢であり、その他の運営委員は20歳代だったが、現在でも運営委員の顔ぶれに大きな変化はなく、運営委員の高齢化が進んでいた。伊那シネマクラブは会員数の減少を理由に、2012年12月に活動を休止した。伊那シネマクラブは30年間で362回の上映会を行い、30周年記念上映作品は『アーティスト』、最終上映作品は『道 白磁の人』だった。
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