伊勢ヶ濱部屋時代
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1929年(昭和4年)に5代伊勢ヶ濱(元関脇・清瀬川)によって創設された伊勢ヶ濱部屋は2007年(平成19年)2月1日付で閉鎖となり、その名前が消滅していた。4代安治川は同年11月30日に9代伊勢ヶ濱に名跡変更したため、同時に部屋名称は安治川部屋から伊勢ヶ濱部屋へと改称された。なお、旧・伊勢ヶ濱部屋は旧・伊勢ヶ濱一門を構成していたが、安治川部屋は旧・立浪一門からの派生であり、系統としては異なっている。 2008年(平成20年)1月場所終了後に9代は、所属力士のうち幕下以下の力士について四股名の「安」を全員外し改名すると発表し、同年3月場所より幕下以下の力士は1人を除いて全員が改名した。呼出2人と床山1人も同時に改名した。また、9代は幕内・十両経験者の力士についても「昇進など改名する条件に合えば改名する」と明言し、同年11月場所後に安馬が大関に昇進すると、安馬の四股名について「安い馬では困る」として、日馬富士と改名した。その後、安壮富士は2011年(平成23年)1月場所限りで引退、安美錦も2019年(令和元年)7月場所で現役を引退したため四股名に「安」の付く力士はいなくなり、現在は接尾辞に「富士」の付く力士が多い。 2012年(平成24年)9月場所後に日馬富士が第70代横綱に昇進し、部屋から初めての横綱が誕生した。2013年(平成25年)3月25日付で間垣部屋、2015年(平成27年)2月1日付で朝日山部屋を吸収し、このうち間垣部屋から移籍してきた照ノ富士(間垣部屋時代の四股名は若三勝)は2021年(令和3年)7月場所後に第73代横綱に昇進した。朝日山部屋からは、2007年1月に閉鎖された旧・伊勢ヶ濱部屋に入門した力士らも移籍してきた。
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