伊勢の神宮における神饌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 08:07 UTC 版)
『神鳳鈔』によれば、古代律令制度において神宮の領地である、諸国の神戸、御厨、御園、神田、名田などおよそ1350ヶ所の土地から様々な御物が奉納されていたという。804年(延暦23年)の『皇大神宮儀式帳』には「6月15日の祭に志摩国神戸の百姓たちが奉る鮮やかな鰒、螺(さざえ)などの御贄」と記され、同様に平安中期編纂の『延喜式』にも月次祭、神嘗祭の三節祭に腊(ほじし)、金海鼠、固魚(かつお)、海藻、塩、油6升が供されたと記される。律令制度崩壊以後も苦心しつつ祭の神饌は続けられてきたが、1871年(明治4年)の神宮改革により組織改革が行われてからは全国の領地は全廃され、原則として神宮自ら御物を賄う自給自足の制度へと改められた。
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