伊勢の核心・岩渕(近代以降)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/06 08:44 UTC 版)
「岩渕 (伊勢市)」の記事における「伊勢の核心・岩渕(近代以降)」の解説
慶応3年(1867年)に大政奉還が為されると、翌慶応4年(1868年)に旧幕府領をもって「度会府」が設置され、山田三方は解体された。度会府は明治2年(1869年)に度会県と改称し、その県庁舎が岩淵町の箕曲(現・岩渕二丁目)に明治3年6月(グレゴリオ暦:1870年6月 - 7月)に新築移転した。度会県は1876年(明治9年)4月に旧・三重県に統合されて新・三重県の一部となったため、岩淵が県庁所在地だったのは6年弱のことであった。旧県庁舎は三重県庁の山田支庁として利用されたが、同年12月の伊勢暴動により焼失した。その後、岩淵には度会郡役所、山田梅毒病院(後の三重県立南勢病院)、日本基督教団山田教会、宇治山田警察署(後の伊勢警察署)などが次々と設置され、1906年(明治39年)に宇治山田市が市制施行すると市役所が当地に置かれ、宇治山田の核心となっていった。
※この「伊勢の核心・岩渕(近代以降)」の解説は、「岩渕 (伊勢市)」の解説の一部です。
「伊勢の核心・岩渕(近代以降)」を含む「岩渕 (伊勢市)」の記事については、「岩渕 (伊勢市)」の概要を参照ください。
- 伊勢の核心・岩渕のページへのリンク