三重県立南勢病院とは? わかりやすく解説

三重県立南勢病院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/10 04:02 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

三重県立南勢病院(みえけんりつなんせいびょういん)は三重県宇治山田市(現・伊勢市)にあった医療機関

沿革

1874年明治7年)より病娼治療は山田病院で行われていたが、山田病院が火災により焼失し廃院となったため、1876年(明治9年)に津検ばい所山田出張所を設置した。1911年(明治44年)には三重県立南勢病院となったが、時代の推移とともに公娼が認められなくなったため、1944年昭和19年)に廃止される。

年表

  • 1876年(明治9年)4月 - 山田曽祢町(現・伊勢市曽祢)に津検ばい所山田出張所が設置される。
  • 1884年(明治17年)11月 - 山田岩淵町(現・伊勢市岩渕)に移転、山田ばい毒病院を設立する。
  • 1898年(明治31年)4月 - 宇治山田駆ばい院と改称する。
  • 1911年(明治44年)10月 - 三重県立南勢病院と改称する。
  • 1937年(昭和12年)4月1日 - 三重県立洞津病院(津市)と三重県立紀北病院(北牟婁郡尾鷲町、現・尾鷲市)の廃止に伴い、洞津病院の一部と紀北病院の管轄区域を引き継ぐ[1]
  • 1939年(昭和14年)4月1日 - 三重県立洞津病院と三重県立紀北病院の再開に伴い、従来の管轄区域に戻る[2]
  • 1943年(昭和18年)4月1日 - 三重県立紀北病院の廃止に伴い、紀北病院の管轄区域を引き継ぐ[3]
  • 1944年(昭和19年)4月1日 - 三重県立南勢病院が廃止、南勢病院の管轄区域は三重県立泗水病院(四日市市)に引き継がれる[4]

参考文献

  • 伊勢市 編『伊勢市史』(1968年発行、1982年再版)
  • 宇治山田市役所 編『宇治山田市史 上巻』(1929年発行、1988年復刻、国書刊行会)
  • 倉田正邦 校訂『宇治山田明治年代記』(1982年発行、三重県郷土資料刊行会)

脚注

[ヘルプ]
  1. ^ 「三重県公報 昭和12年3月20日 第2826号」 昭和12年3月20日 三重県告示第313号、第314号
  2. ^ 「三重県公報 昭和14年3月14日 第3400号」 昭和14年3月14日 三重県告示第180号
  3. ^ 「三重県公報 昭和18年3月31日 号外」 昭和18年3月31日 三重県告示第217号
  4. ^ 「三重県公報 昭和19年3月31日 号外」 昭和19年3月31日 三重県告示第267号、第268号




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「三重県立南勢病院」の関連用語

三重県立南勢病院のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



三重県立南勢病院のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの三重県立南勢病院 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS