三重県立四日市南高等学校とは? わかりやすく解説

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三重県立四日市南高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/21 22:12 UTC 版)

三重県立四日市南高等学校
三重県立四日市南高等学校(2009年)
北緯34度57分4.5秒 東経136度35分28.4秒 / 北緯34.951250度 東経136.591222度 / 34.951250; 136.591222座標: 北緯34度57分4.5秒 東経136度35分28.4秒 / 北緯34.951250度 東経136.591222度 / 34.951250; 136.591222
国公私立の別 公立学校
設置者  三重県
設立年月日 1959年3月27日
創立記念日 2月1日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
普通科数理科学コース
学科内専門コース 数理科学コース
学期 3学期制
学校コード D124210050089
高校コード 24106H
所在地 510-8562
三重県四日市市大字日永字岡山4917番地
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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三重県立四日市南高等学校(みえけんりつよっかいちみなみこうとうがっこう)は、三重県四日市市に所在する公立高等学校。通称「南高(なんこう)」または「四南(よんなん)」。

設置学科

概要

三重県四日市市の南部丘陵地の一角、 登城ヶ丘 とじょうがおかに所在。三重国体で使用した本格的な競技用の50メートルプール(B級公認)があったが、今では埋め立てられており、駐車場となっている。北勢地区では自由な校風として知られる。

1974年三重県立四日市高等学校(四高)との総合選抜制度(学校群制度)開始に伴い、四高と同一水準の生徒が入学。ほぼ互角の実績を残し、三重県北勢地区屈指の進学校として知られた。しかし、1995年に21年間に及んだ総合選抜制度の廃止後、学力最上位層が四日市高校に流れる傾向がみられる。

現在も文武両道を重んじ、課外講座を豊富に用意しているほか、部活動学校行事も活発である。例年、入試の志願倍率が高い。四日市高校より現役志向が強く、既卒生の大学受験が四日市高校より少ないのが特徴[1][2]

沿革

《主な出典:[3]

  • 1959年昭和34年)
    • 3月27日 - 三重県立四日市南高等学校を設置する旨告示される[注釈 1]
    • 4月1日 - 旧富洲原中学校校舎(四日市市大字天ヶ須賀)を仮校舎として開校[注釈 2]
    • 4月8日 - 開校式挙行。
  • 1960年昭和35年)
    • 2月1日 - 本校舎起工式を挙行。校章制定。この日を創立記念日と定める。
    • 9月30日 - 新校舎(現在地)に移転。
  • 1974年(昭和49年)3月16日 - 学校群制度の開始に伴い、四日市高校と入試総合選抜制度実施。
  • 1994年平成06年) - 普通科に「数理科学コース」を新設。
  • 1995年(平成07年)3月14日 - 四日市高校との間に21年間続いた総合選抜制度廃止。
  • 2008年(平成20年)10月25日 - 創立50周年記念式典挙行。

教育方針

  1. 勉学と運動を奨励して、豊かな人間性を備えた心身ともにたくましい生徒を育てる。
  2. 誠実・素直・勤勉の気風を養うと共に開拓者精神を培う。
  3. 人権を尊重し、差別のない明朗な気風を育てる。
  4. 個性を生かし、一芸一能を重んじ、才能の開発と発展につとめる。
  5. 品性を磨き国民性・社会性を身につけさせる。

校歌

  • 校歌谷川俊太郎作詞・武満徹作曲である[6][7]。谷川にとって初めて手がけた高校の校歌である[7]
  • 3番の歌詞に公害賛美ともとれる内容があったため[8][9][10]、谷川俊太郎自身の要望で1979年に一部歌詞が差し替えられた[6][7]
  • 音楽部員の校歌の歌声で朝の会が始まる。

交通

学生生活

2003年度から教員・生徒の意向を取り入れ制服がブレザーに変わった[注釈 3]。部活動は、ワンダーフォーゲル部は2007年度インターハイで優勝、2008年度インターハイで2連覇を果たした。文化部では演劇部が県大会で1位(2001,03,05年)、1991年には音楽部が全国大会出場を果たすなどの記録を残している。また、箏曲部は2019年に県大会で優勝し8連覇を達成している。

主な出身者

脚注

注釈

  1. ^ 当校の設置以前に、三重県が設置者である公立高等学校については1955年(昭和30年)4月1日付け三重県教育委員会告示第64号をもって正式名称が「三重県立」を冠する校名に変更されていた(従前は、占領軍三重軍政部の指示のもと県新学制実施協議会が定めた方針により、「立」の字が付かない「三重県○○高等学校」の名称[4])。
  2. ^ 同じ富洲原中学校旧校舎は、3年後に四日市南工業高等学校の開校時にも仮校舎として用いられた[5]。もとは1926年大正15年)創立の富洲原町立実科高等女学校(前出の出典中では四日市市立実践女学校と記載)の建物。
  3. ^ なお、旧制服は映画『いずれの森か青き海』(監督:瀬木直貴)で使用されている。

出典

  1. ^ 令和5年大学等合格者数”. 三重県立四日市高等学校. 2024年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月16日閲覧。
  2. ^ 進路状況(令和5年度)”. 三重県立四日市南高等学校. 2024年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月16日閲覧。
  3. ^ 学校紹介 - 本校の沿革”. 三重県立四日市南高等学校. 2025年6月21日閲覧。
  4. ^ 三重県総合教育センター 編『三重県教育史 第3巻』三重県教育委員会、1982年3月30日、144-145頁。NDLJP:12286310/94 
  5. ^ 『三重県立四日市中央工業高等学校創立30周年記念誌』三重県立四日市中央工業高等学校、1991年10月26日、52頁。NDLJP:13135336/30 
  6. ^ a b 金子淳「公害展示という沈黙――四日市公害の記憶とその表象をめぐって」『静岡大学生涯学習教育研究』第13号、静岡大学生涯学習教育研究センター、2011年3月31日、13-27頁、doi:10.14945/00006719 26頁の注(3)を参照。
  7. ^ a b c 「過去に問う 未来への答え 谷川俊太郎さん作詞 四日市南高校歌 公害経て歌詞は変わる」中日新聞2017年1月1日付、4部三紀3ページ
  8. ^ 亡くなった谷川俊太郎さん作詞 四日市南高校の校歌 歌い継ぐ」『NHK NEWS WEB』2024年11月19日。オリジナルの2024年11月19日時点におけるアーカイブ。2025年5月1日閲覧。
  9. ^ 四日市南高校の校歌作詞、後に公害被害を理由に一部変更 谷川俊太郎さんの思い受け継ぎたい」『中日新聞 電子版』2024年11月19日。オリジナルの2024年11月19日時点におけるアーカイブ。2025年5月1日閲覧。
  10. ^ 谷川俊太郎さんが「苦い反省」と悔いた校歌 公害問題で手がけ直し」『毎日新聞デジタル』2024年11月19日。オリジナルの2024年11月19日時点におけるアーカイブ。2025年5月1日閲覧。
  11. ^ 毎日フォーラム・霞が関ふるさと記 三重県(上)」『毎日新聞デジタル』毎日新聞社、2018年4月10日。オリジナルの2024年11月30日時点におけるアーカイブ。2024年5月2日閲覧。
  12. ^ 関連サイト・同窓生”. 三重県立四日市南高等学校同窓会. 2024年6月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年6月21日閲覧。

関連項目

外部リンク






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