企画の誕生と進行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/15 02:33 UTC 版)
芳賀ゆい企画が誕生した直接の発端は先述した伊集院光の発言であったが、この企画に飛び付いたリスナー含め関係者の土壌には、秋元康プロデュースのおニャン子クラブなど、当時のアイドル量産路線に対する不満があったと言われている。「トイレにいかない」などの既存清純アイドル像を固持し、現実の人間とアイドル像との乖離が進んでいた中、「それだけ現実と離れたものを望むならば、架空のアイドルを作り上げてしまえ」という考えが生まれたのである。 企画の進行は、当初はパーソナリティの伊集院光とリスナー達が中心で、リスナーの考えた芳賀ゆいのプロフィールを番組のコーナーで紹介し、選考して公式のものとしていった。 芸能人である伊集院と、一般人であるリスナーの自分達が一緒に『アイドル』を作り上げているという連帯感。同じ『一人の女の子』を作り上げているのにリスナーそれぞれが違う女の子を想像したり空想する妙味。途中からは芳賀ゆいというキャラクターを作っているのではなく、さも実在しているかのような語り口となった。その後CBSソニーがCDデビューのリリース元に名乗りを上げ、商業面での進行が現実となり、世間で徐々に話題になっていくと「本当は自分達が作り上げた架空の・・」と、悪戯が成功した子供のような達成感を覚える。秘密を共有しているような高揚感が『芳賀ゆいプロジェクト』の最大の武器にして成功の原動力となったのである。実際にCDが発売され、マスメディアで取り上げられる機会も増えた一方で、伊集院光をはじめとしたスタッフおよびファンクラブから選ばれた一部のリスナーが企画会議をし、イベントを次々に開催するようになった。これは商業ベースに乗せてしまった以上抗えないオトナの事情に対する、ささやかなアンチテーゼでもあった。企画の肥大化と共に徐々に関係者も増え、リスナーには関与出来ない箇所も増えてきたが、伊集院光は企画の中心に一貫して座し、「芳賀ゆいは伊集院光のANNとそのリスナーのもの」と、その軸がぶれることは無かった。彼のリスナーを大事にする姿勢からリスナー達にも出来る限りの裁量を与えていた。
※この「企画の誕生と進行」の解説は、「芳賀ゆい」の解説の一部です。
「企画の誕生と進行」を含む「芳賀ゆい」の記事については、「芳賀ゆい」の概要を参照ください。
- 企画の誕生と進行のページへのリンク