企画の難航
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 02:13 UTC 版)
宮崎は『天空の城ラピュタ』の公開を終えた後、1986年11月に「トトロ」の企画書を徳間書店に提出する。しかし、舞台が昭和30年代となっていることや題材が地味であることに加え、当初60分程度の中編映画として企画されたために単独での全国公開は難しかったことから、制作企画会議において承認を得るまでには至らなかった。そこに、高畑勲が検討していた『火垂るの墓』を同時上映する案が浮上し再度企画を持ち込んだが、オバケに墓という組み合わせが顰蹙を買って承認されず企画自体が頓挫しそうになった。だが、『火垂るの墓』の原作小説を刊行している新潮社が企画に賛同し『火垂るの墓』の出資、製作にすることとなり、徳間書店と新潮社の共同プロジェクトとして中編2本体制が確立することとなった。
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