令外の官の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 07:25 UTC 版)
中世における律令体制の根本的な変化としては、もうひとつ検非違使などのいわゆる令外の官の成立があげられる。これ令外の官の特徴はその分担する政務において、完結的に処理することが可能だということである。本来の律令制は政務を上から順番に統属関係にのっとった形で処理するため、官僚機構において底辺にちかい部署はただ事務処理を行なうのみであり、その意思決定は上位機構をへて最終的には天皇が裁断するものであった。ところが検非違使などの令外の官はこのような律令官制の統属関係を横断的にこえてひとつの政務を処理することができ、従来の律令国家の規定を越えて決裁を速やかに行なうことができたため、律令制の複雑な官僚機構にともなう煩瑣な手続きをせずに特定の政務を完結的に行なうことができた。実際検非違使庁は実用面で非常に優れていたため、のちには従来の律令的官制を侵食していく形でその職務領域を拡大した。このような令外の官の成立は律令制に大きな変化をもたらしたものといえる。 これら令外の官と既存の律令体制における官制との間の交渉は既存の律令法上に明確な規定がない以上、畢竟慣習による蓄積によらざるをえない。令外の官が広汎に成立した中世においては、このような現実的な需要を受けて実際的な政務処理を律令法の条項と照らし合わせてその法的側面の補強をおこなう明法家という職務身分家系も登場した。明法家もまた、元は大学寮の明法道の教官であった明法博士の地位を明法道の家学化によってその世襲を確立させることで成立している。明法家に代表される中世的職務世襲的家系の発生が令外の官の成立と深く影響しあっている例としては、検非違使の裁判権拡大にともない刑部省の量刑機能が失われていき、明法家が罪名を勘申することが広く定着していく様などに見られる。またこれら明法家の勘申(明法勘文)は律令法を参照するものではあるものの、その取捨選択はたぶんに恣意的な側面もあり、中世において律令の規定が直接的に規範的作用をもつものではなかったということは注目に値する。中世においてはしばしば律令法より個々の家のローカルなルールな優先され、家々の交渉の積み重ねが政務となった。それぞれの現場における実践の積み重ねがやがて作法・故実としてマニュアル化されていくのであるが、なにが法的意味を持ち、なにがもたないかが厳密な意味で分節化されていなかったということに注意するべきである。 中世の豊かな法運用の中では律令法は相対的な位置にとどまっていたという見方をするのが妥当であろう。
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