仙台市域の仙台と他の町村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:29 UTC 版)
都市としての仙台の歴史は、慶長5年12月24日(1601年1月28日)の伊達政宗による仙台城の建設に始まる。仙台輪之内あるいは仙台輪中と呼ばれた江戸時代の仙台の範囲は、青葉山にある仙台城とその麓・河原にあたる川内と、広瀬川対岸の台地上に作られた城下町からなる南北5キロメートル、東西4キロメートルほどの範囲で、現在の市域のごく一部である。中世には青葉山に寺がいくつかあって地方的な霊場の様相があったが、後の城下町にあたる場所は古代から中世まで人家が稀な原野だった。 しかし、現在の仙台市域に広げて歴史を眺めると、いくつもの集落や町の興隆と変遷が認められる。弥生時代からの水田遺跡である富沢遺跡と南小泉遺跡の周辺は、古墳時代に入って多数の古墳が築かれた地域の中心であった。7世紀末から8世紀初めまでは郡山遺跡に陸奥国の国府が置かれた。8世紀には南小泉遺跡の北隣に陸奥国分寺と陸奥国分尼寺が建てられた。中世には多賀城から国府が市域北東部の岩切に移り、町が形成された。戦国時代には、国分寺から南小泉遺跡にかけて国分日町と呼ばれる町があった。他にも中世には平野部から山間の盆地まで、各地に集落や武士の館が作られた。 以降の説明では、中世に至るまで単に仙台という場合には江戸時代の仙台の範囲を指し、現在の仙台市の範囲を指す場合には特に仙台市域と呼んで区別する。江戸時代以降はそれぞれの時代の仙台をもって仙台と呼び、現在の市域と区別する。
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