仕手戦の敗北、終焉とは? わかりやすく解説

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仕手戦の敗北、終焉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/14 17:38 UTC 版)

クック・インダストリーズ」の記事における「仕手戦の敗北、終焉」の解説

1976年冬。翌年秋の大豆在庫増による値下がり見込んで売り」の指示出したが、予想より収穫量少なくかつ輸出好調であったため、価格上昇した1976年度(1976年9月1日1977年8月31日)の第1四半期には1350ドル赤字計上第2四半期70ドル赤字とどまったが、第3四半期には再び1300ドル赤字計上した1977年2月中、スパークス売り指示出し続けたが、これと反対に買い注文出し続ける者がいた。当時クック社はこの投資家正体把握できていなかった。スパークス値下がりが始まると見込んでいたが、強力な買い注文により相場容赦なく上昇続けた。この投資家こそ、テキサス石油王ネルソン・バンカー・ハントであった大豆投機取引300ブッシェルまでと制限されていたが、弟や家族組み限度いっぱい2100ブッシェル買いつけた。これはトン換算する571500トンで、同年収穫した大豆出回る前の在庫量の3分の1相当するであったクック社側は、実物大豆入手して買い注文に対して送りつける作戦出た大量実物大豆届いて始末負えず、買い注文手控える考えたからだ。ところがハントの側はすでにカントリーエレベーター中にある大豆押さえてしまっていた。クック社はシカゴ商品取引所から追加証拠金求められたが、銀行からの借入金1977年5月までに限度額の上限に達した。すでに2月にはELブルース社、4月には最新鋭カントリーエレベーター売却しており、為す術はなかった。6月1日クック社は証券取引所自社株式売買停止要請大幅に事業縮小し資産大半売却することを発表した第4四半期赤字6000ドル達しスパークス辞職した。こうして、世界有数穀物メジャーであるクック・インダストリーズは、わずか1年の間に終焉迎えることとなった

※この「仕手戦の敗北、終焉」の解説は、「クック・インダストリーズ」の解説の一部です。
「仕手戦の敗北、終焉」を含む「クック・インダストリーズ」の記事については、「クック・インダストリーズ」の概要を参照ください。

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