仏蘭戦争開戦まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/15 10:18 UTC 版)
フランスへの対抗として1668年に結成されたイングランド王国、スウェーデン帝国、ネーデルラント連邦共和国の三国同盟だったが、1670年のドーヴァーの密約により早くも解体した。イングランドとスウェーデンはフランス側に鞍替えした。マクシミリアン・ハインリヒ・フォン・バイエルン(英語版)のケルン選帝侯領やクリストフ・ベルンハルト・フォン・ガレン(英語版)のミュンスター司教領(英語版)を始めとする複数のドイツ諸侯もフランスと秘密条約によって結ばれており、同国と同盟した。他の領邦は、神聖ローマ帝国の一部に対するフランスの要求(ドイツ語版)に敢えて対抗しなかったのである。こうしてオランダの同盟者はブランデンブルク選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムしかおらず、両国は1672年4月26日に同盟した。その裏にはオランダの将軍兼プロイセン領クレーヴェ総督であるヨハン・マウリッツ・ファン・ナッサウ=ジーゲンの暗躍があった。フリードリヒ・ヴィルヘルムはオランダからの資金援助と引き換えに、兵力2万人をもって同国を支援するよう約束した。彼は神聖ローマ皇帝レオポルト1世の支持も得た。しかし、とりわけ宮廷顧問官会議議長ヴェンツェル・オイゼビウス・フォン・ロプコヴィッツが自身をフランスに味方させようと試みていたため、レオポルト1世の態度は定まらなかった。 すでに1670年から不当にロレーヌ公国を占領していたフランスは、時機が到来したとみて仏蘭戦争開戦に踏み切った。フランス軍はユトレヒト州、ヘルダーラント州、オーファーアイセル州を占領し、アムステルダムさえも脅かされたのである。
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