バルト帝国
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/08 14:31 UTC 版)
スウェーデン帝国(スウェーデンていこく、英語: Swedish Empire、スウェーデン語: Svenska stormaktstiden)は、近世ヨーロッパのバルト海及びその沿岸を支配し、スウェーデン王国が繁栄した大国時代の呼称である。バルト帝国(英語: Baltic Empire)とも呼ぶ。また、スウェーデンでは「大国時代」(stormaktstiden)と呼ばれている[1]。他国では概ね「スウェーデン帝国」または「(スウェーデンによる)バルト帝国」に類する表現で呼ばれている。
注釈
- ^ もっとも、バルト海南岸及びデンマーク近海は依然デンマークの影響下にあった。
- ^ スウェーデン海軍は、北欧ではデンマーク海軍とほぼ拮抗した規模を擁していた。
- ^ 大北方戦争終結後のデンマークとのフレデリクスボー条約(1720年)でスウェーデンは通行税免除特権を返上し、以後19世紀半ばの1857年まで通行税の支払いが行われた。
- ^ 影響力を行使出来たのは、同盟国のホルシュタイン=ゴットルプ家など僅かであった。
- ^ 現在はメクレンブルク=フォアポンメルン州に属する。
- ^ このため新大陸の植民地を失った他、バルト海の制海権を失うことになる。スウェーデンは当時の列強国の中で唯一、植民地化の形成に失敗した国家であった。海軍の弱体化は、結果としてヴァーサ朝の元で獲得した新大陸及びアフリカの植民地を、北方戦争の前後に敵対国の侵攻によって喪失することになり、植民地帝国や海上帝国を形成することが出来なかった。
出典
- ^ 入江、P3 - P15。
- ^ 志摩、P25。
- ^ 武田,物語 北欧の歴史、P51。
- ^ 志摩、P26。
- ^ 武田,物語 北欧の歴史、P19 - P20、P147 - P148。百瀬、P56 - P57、P87 - P90、年表P28。
- ^ 入江、P17。
- ^ 伊藤、P81、P94 - P96。
- ^ 志摩、P68 - P69。
- ^ 武田,物語 北欧の歴史、P47。百瀬、P147。
- ^ 入江、P18。
- ^ 武田,物語 スウェーデン史、P41。
- ^ 武田,物語 北欧の歴史、P49 - P51。武田,物語 スウェーデン史、P45 - P46。百瀬、P144 - P145、P148。
- ^ 武田,物語 北欧の歴史、P58 - P59。
- ^ 百瀬、P150。入江、P46。
- ^ 武田,物語 スウェーデン史、P68。
- ^ 武田,物語 北欧の歴史、P60 - P61。百瀬、P151。
- ^ 入江、注P49。伊藤、P164。
- ^ 百瀬、P149。
- ^ 武田,物語 スウェーデン史、P53。
- ^ 入江、P95 - P125。伊藤、P155。
- ^ 百瀬、P152、P156。
- ^ 入江、P136 - P139。
- ^ 志摩、P72 - P75。
- ^ 武田,物語 北欧の歴史、P150。百瀬、P152。
- ^ 武田,物語 スウェーデン史、P76 - P77。百瀬、P147。
- ^ 武田,北欧の歴史 P64 - P66。武田,物語 スウェーデン史、P88 - P91。百瀬、P158。
- ^ 志摩、P79 - P82。
- ^ 百瀬、P156 - P158。
- ^ 百瀬、P157。
- ^ 武田,物語 スウェーデン史、P86。
- ^ 武田,物語 スウェーデン史、P94 - P105。百瀬、P147。
- ^ 武田,物語 スウェーデン史、P109 - P110。百瀬、P167 - P169。
- ^ 武田,物語 スウェーデン史、P120 - P124。
- ^ 武田,北欧悲史、P174 - P176。
- ^ 武田,物語 北欧の歴史、P82 - P83。
- ^ 武田,物語 スウェーデン史、P157 - P158。百瀬、P194 - P197。
- ^ 武田,物語 スウェーデン史、P168 - P179。百瀬、P232 - P244。
- ^ 武田,北欧悲史、P123 - P190。
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