仏教部分とは? わかりやすく解説

仏教部分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/24 09:06 UTC 版)

釈老志」の記事における「仏教部分」の解説

釈老志」では、中国への仏教初伝を、漢の武帝元狩年間(前122年 - 前117年)に匈奴討伐向かった霍去病が、5万の民と共に降伏してきた昆邪王によって「金人」を獲得し甘泉宮祀ったという記述求めている。続いて大月氏国派遣され張騫が「浮屠の教」の話を聞いたこと、哀帝元寿元年(前2年)に大月氏使者である伊存から「浮屠経」の口授受けたことを記す。その後後漢明帝代の白馬寺、『四十二章経』の事が続いている。 次に仏教に関する概説仏伝アショカ王ストゥーパ経典・論部などに関する記述が続く。 その次は、楚王英の「浮屠の仁祠」に対す信仰のさまを述べ魏晋の時代竺法護らの外国僧を中心とした活動について記している。その後釈道安慧遠鳩摩羅什北魏道武帝時代竺僧朗教団などについて述べた後、明元帝代の趙郡法果皇帝尊崇受けたさま、法果が「皇帝こそ現今如来だ。僧徒はみな皇帝に対して礼敬を尽くすのが当然だ」という北朝仏教特色現す言葉述べたという事実を記している。 更に鳩摩羅什一門活動法顕求法などを記し太武帝廃仏三武一宗の廃仏第一)に関わる内容へと続いている。その後は、沙門統曇曜中心とした雲岡石窟などの仏教復興のさまが描かれ孝文帝時代仏教霊太后仏教統制龍門石窟永寧寺の事に及ぶ。 撰者である魏収立場反映して記述東魏仏教の様で終るが、その最後避役目的とした偽濫僧や私度僧弊害に関する記述締めくくられているところにも、その当時仏教に関する問題点表れており、本書単なる仏教賛美する内容終始していないことを示している。

※この「仏教部分」の解説は、「釈老志」の解説の一部です。
「仏教部分」を含む「釈老志」の記事については、「釈老志」の概要を参照ください。

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