人物表現について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 09:47 UTC 版)
後述のように、藤田はパリで画家として成功を収めていた。パリでの長年の画家生活の中で、藤田は他の戦争画家よりも遥かに優れた描写力で西洋人を描く技術を身につけていた。『アッツ島玉砕』は日本軍とアメリカ軍が入り乱れる混沌とした状況を描きながらも、両軍を的確に描き分ける藤田の描写能力によって、単なる無秩序な光景ではなく日米両軍の死闘を描く絵画として成立した。 戦闘行為の描写の特徴としては、20世紀の戦闘を描いた絵画でありながら機関銃などの近現代兵器は描かれず、銃剣や日本刀を手にした兵士が敵に対して白兵戦、肉弾戦を挑んでいることが挙げられる。つまり『アッツ島玉砕』は古典的な戦闘シーンを描いている。これは藤田が単なる記録画としての戦争画ではなく、芸術的に優れた作品を描こうとしたためであると考えられ、画面下端に描かれた紫色の花も、やはり『アッツ島玉砕』を記録や報道レベルのものに終わらせまいとする意欲の表れであると見られている。また、『アッツ島玉砕』の日本兵が銃剣や日本刀で白兵戦、肉弾戦を挑む描写は、西洋文明に対峙する形で日本を際立たせる表現でもあった。 『アッツ島玉砕』のような玉砕図の描写に執心した背景として、藤田がとっくみ合いのモチーフを持っていたためであるとの説がある。第二次世界大戦期の後半、藤田が描いた戦争画はいわばとっくみ合う兵士たちの群像であり、これは藤田が持つ日本の原像が「祭りのようなたくましい空間」であり、戦争も、祭りにおけるケンカの延長線上と見なす藤田の感覚から生み出された表現であると見なしている。
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