人物・著作
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父が生存中の文政8年(1825年)、父から「不許無名入故城」(有名になる前に故郷に帰るのを許さず)との句が入った詩を贈られたため、ほとんど故郷へは帰らず、旅の人生を送ったという。 江戸には長く滞在し、母を故郷から招こうとしたが、秋月藩から認められなかった。老母が病気になるに及んで故郷へ帰り、看病のかたわら私塾を開くが、母の没後は再び旅に出ている。 悲願である父の詩集の出版は、果たされることはなかった。 自身の詩集として『東遊漫筆』『采蘋詩集』等の著がある。 男の身なりで行動しただけではなく、当時の武家の女性としては破天荒とも思われる豪放磊落な性格で、酒好きでも知られたという。以下のように酒に関する詩文も残されている。 呼酒 酒唯人一口 酒はただ 人と一口 戸錢不須多 戸銭 多くをもちいず 詩思有時渇 詩思いて 時に渇くことあらば 呼杯醉裏哦 杯を呼びて 酔裏に口ずさむ
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人物・著作
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「ピタネのアウトリュコス」の記事における「人物・著作」の解説
小アジア、アイオリス地方のピタネに生まれた。生涯については何も知られていない。アウトリュコスの著作はアテネで紀元前335年から紀元前300年の間に完成した。 2つの著書『運動する球体について』と『天体の出没について』は古代ギリシャの数学書として完全な形で残っている最古のものであるとされる。エウクレイデスによってアウトリュコスの業績は引用されておりアルケシラオスはアウトリュコスに教えを受けたことが知られている。16世紀にフランチェスコ・マウロリーコ(イタリア語版、英語版)によってアウトリュコスの作品はラテン語に翻訳された。 幾何学の分野では、球体の性質と運動について研究した。ビテュニアのテオドシオスの『球面幾何学』はアウトリュコスの球に関する仕事を元にしている。天文学の分野では天体の出没の関係を研究した。
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