人物画像鏡
読み方:ジンブツガゾウキョウ(jinbutsugazoukyou)
隅田八幡神社人物画像鏡
人物画像鏡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 13:50 UTC 版)
和歌山県隅田(すだ)八幡神社所蔵(東京国立博物館寄託)の国宝「人物画像鏡」の銘文に、 「癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長寿遣開中費直濊人今州利二人等取白上同二百旱作此竟」 「癸未の年八月十日、男弟王が意柴沙加の宮にいます時、斯麻が長寿を念じて河内直、濊人今州利の二人らを遣わして白上銅二百旱を取ってこの鏡を作る」とあり、「癸未年」(503年)、「男弟王」(武烈か継体か)が「意柴沙加宮」(忍坂宮、石坂宮)にいたとき、鏡を作らせて男弟王の長寿を祈って鏡を献上した「斯麻」が知られる。これは武寧王のことであるとの見方が強い。
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人物画像鏡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/26 02:44 UTC 版)
「隅田八幡神社人物画像鏡」を参照 国宝に指定されている隅田八幡神社所有の銅鏡(東京国立博物館に寄託)。銘文に、 「癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長寿遣開中費直穢人今州利二人等取白上同二百旱作此竟」 (癸未の年八月十日、男弟王が意柴沙加の宮にいます時、斯麻が長寿を念じて河内直、穢人今州利の二人らを遣わして白上銅二百旱を取ってこの鏡を作る)(判読・解釈には異説あり)とあり、「癸未年」(503年)、「男弟王」が大和の「意柴沙加宮」(忍坂宮)にいた時に「斯麻」が鏡を作らせて「男弟王」の長寿を祈ったことが記される。「斯麻」は『日本書紀』のみならず墓誌にも別称の記された武寧王であるとの見方が強まっている。「男弟(おおと)王」は「男大迹(おほど)王」に比定することができ、その場合は継体天皇を指すと考えられる。この解釈では、継体天皇は503年に大和の忍坂宮にいたこととなり、継体天皇が畿内勢力の抵抗のため晩年まで大和盆地に入れなかったという見解は成り立たなくなる。ただし、ヲホドとヲヲトでは、6世紀初頭では相当発音も異なっており、「癸未年」として443年をあてる考えもあるなど、様々な問題を含んでいる。 境内の人物画像鏡碑
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