人物としてのジル・ザンダー
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「ジル・サンダー」の記事における「人物としてのジル・ザンダー」の解説
ドイツ北部のシュレスヴィヒ=ホルシュタイン州ヴェッセルブレン出身。ハンブルクのクレフェルト・スクール・オブ・テキスタイル専門学校を卒業して、テキスタイル・エンジニアとして働いた。その後、渡米してカリフォルニア大学に2年間留学した。留学後、ニューヨークの出版社に就職し、「マッコールズ(McCall's)」、「コンスタンス(Constance)」など女性専用の各雑誌のファッション・ジャーナリストとして活躍した。その後、1965年ドイツに帰国、1968年にハンブルクにブティックを開設して自らの会社を立ち上げたが、当初は主に「ソニア・リキエル」などを取り扱う、セレクトショップの形態の店舗であった。 1999年のプラダ系列への統合後、親会社となったプラダと価値観が衝突することがたびたびあり、2000年には一度自社の経営から撤退した。2003年にクリエイティブ・ディレクターの座に復帰したが、その後もプラダとの方向性の不一致から2004年に再度辞任した。これ以降、ジル・ザンダーは長らくファッションの表舞台から姿を消したが、2009年3月、ユニクロを運営する日本のファーストリテイリング社がジル・ザンダーが代表を務めるコンサルティング会社との間にデザインコンサルティング契約をしたと発表。ユニクロの高価格ラインである「+J」のデザインと、ユニクロの商品全体の監修を行った。2011年6月23日、デザインコンサルティング契約を終了すると発表され、「+J」も2011年秋冬シーズンをもって終了した。 2012年、ジル・サンダー社はラフ・シモンズの後任として、ジル・ザンダーがクリエイティブ・ディレクターに復帰すると発表。2013年S/Sシーズンより、再びデザインを手掛け2014年A/Wまで担当した。 2020年秋からユニクロで「+J」コレクションを再び担当する。
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