人嫌い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 05:30 UTC 版)
ガルボはキャリア初期から社交的な催しへの参加を避けており、自分ひとりあるいは少数の友人と過ごすことを好んでいた。ファンにサインをしたことがなく、ファンレターに返事を書くこともなかった。マスコミからのインタビュー申し込みのほとんどを断り、作品宣伝に協力する契約を製作会社と結ぶことも拒否した。自身が主演女優賞にノミネートされたときも含めてアカデミー賞の会場には一度も姿を見せていない。ガルボの人前やマスコミの前に姿を見せることを嫌う姿勢は明らかに本心からのもので、初めのうちは撮影現場の雰囲気を悪くすることすらあった。しかしながらMGMは人前に出ることを厭うガルボの態度を、無口で孤高の神秘的な女優というイメージ作りに活用し始めた。ガルボの態度は、2005年にアメリカン・フィルム・インスティチュートが発表した「アメリカ映画の名セリフベスト100 」で30位となった「私は一人でいたい。ただ一人でいたいだけ」という『グランド・ホテル』のガルボの台詞そのものだった。この「一人で」という言葉は、サイレント映画時代からガルボについてまわるちょっとした冗談にもなっていた。1927年の『アンナ・カレニナ』のタイトルカードには「私は一人が好き」とあり、1929年の『船出の朝』では「一人で歩きたいの、一人になりたいから」という台詞があり、さらに南太平洋へ向けて恋人と旅立つガルボが乗る船は「一人ぼっち」という名前となっている。1931年の『スザン・レノックス』には求婚者に対する台詞「元気を出したり……落ち込んだり……一人でね」、1931年の『インスピレーション』では気まぐれな恋人への台詞「ちょっとの間一人になりたいの」、1931年の『マタ・ハリ』では新たな恋人に「将来のことなんて考えない。来年の春には多分……一人ぼっちになってるから」という台詞がある。1930年代初めごろまでには、「一人で」という言葉がガルボの公私にわたる代名詞となっていった。1939年の『ニノチカ』ではこの言葉が逆手に取られている。ソヴィエトのスパイがガルボ演じるニノチカに「一人になりたいのか、同志よ」と尋ねたときに、ニノチカは不機嫌に「いいえ」と返している。だが、少なくとも私生活でのガルボは「一度も“一人になりたい ('I want to be alone)” と言ったことはありません。“一人にして欲しい (I want to be let alone)” と言っただけです。この二つの言葉はまったく意味が違います」と語っている。
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