五稜郭公園とは? わかりやすく解説

五稜郭公園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 09:50 UTC 版)

五稜郭」の記事における「五稜郭公園」の解説

1913年大正2年)、函館区長・北守政直陸軍大臣に、五稜郭公園として無償貸与して欲しいとの請願行った陸軍から、使用許可時点の状態を変更することは認めない最小限便益施設設置新たな樹木植栽全て函館要塞司令部許可が必要である、かつ借用間中土地建物等の保存責任費用負担函館区が負う、などの条件付き使用許可出され翌年五稜郭公園(ごりょうかくこうえん)として一般開放された。また、函館毎日新聞』が発行1万号を記念して1913年から10年かけて数千本のソメイヨシノ植樹した。このは現在も約1,600本が残っており、北海道内有数花見名所となっている。 1925年大正11年)には内務省所管が変わるとともに史蹟名勝天然紀念物保存法に基づく史蹟指定された。1929年昭和4年)には郭外の長斜坂が追加指定され文部省所管となった。そして戦後文化財保護法制定されると、1952年昭和27年)に特別史跡指定された。 1954年昭和29年)には、函館開催され北洋漁業再開記念北海道大博覧会北洋博)の第2会場となった北洋博で「観光館お菓子デパート」として用いられ建物は、翌1955年昭和30年)から市立函館博物館五稜郭分館となり、奉行所復元工事に伴い2007年平成19年11月閉館するまで箱館戦争関連品々展示していた。また、発掘調査復元工事が行われる以前には中央部広場地元運動会夏季林間学校などが行われ、堀も水質良好だった時代には、プールスケートリンクとして使用されていた。

※この「五稜郭公園」の解説は、「五稜郭」の解説の一部です。
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