二重国籍疑惑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 16:24 UTC 版)
「アルベルト・フジモリ」の記事における「二重国籍疑惑」の解説
2001年9月にはペルーの司法長官がフジモリを殺人罪で起訴し、2003年3月にはICPOを通じ人道犯罪の罪で国際手配の依頼が行われた。日本大使公邸事件の際、投降したゲリラを射殺した容疑である。ペルー政府はその他の権力乱用罪でも日本に身柄引渡しをたびたび求めたが、これに関して日本政府は引き渡しを拒否し続けた。 フジモリは日系人であり、ペルーと日本の二重国籍者である。日本政府はフジモリが日本人夫婦の元に生まれ、出生時に日本国籍を留保していることを理由に彼が現在も日本国籍を保有していることを認めており、フジモリの二重国籍を事実上容認している(1984年以前から日本国籍と外国籍の双方を保持している者は1985年1月1日の改正国籍法施行の日に外国籍を取得したものと見なされるので、成人の場合2年以内(1986年12月31日まで)に国籍の選択をしなければ自動的に日本国籍の選択の宣言をしたとみなされる)。 「国籍法 (日本)#多重国籍者の国籍選択制度」も参照 一方で、「一国の国家元首が二重国籍者であることを隠していた」という点はペルーで大きな批判の対象になった。ペルーの法律は二重国籍者が大統領になることを禁じており(ただし過去にスペインの植民地であったことからスペインとの二重国籍であれば容認される)、フジモリは大統領選挙運動中に「日本国籍を持っていない」と宣言していたという。フジモリは大統領当時に資金援助のために訪日の際も、日本人ではなくペルー人であるからとして日本語を話すことを拒否し、スペイン語のみで会見していた。 2005年6月、フジモリ元大統領はペルー国営テレビの政見放送を通じて次期大統領選挙への出馬の意向を表明した。現職のアレハンドロ・トレド大統領を始めとする次期大統領候補の不人気もあり、1990年代の景気好転の時期の大統領であったフジモリ元大統領は、特に貧困層の国民から非常に高い支持を受けているとされた。(もっとも、次項以下に記載するとおり、その後、離日したフジモリがチリで逮捕され出馬が不可能となり、フジモリ派として立候補した大統領候補者の得票率は低いものに終わった。ただし、同時に行われた国会議員選挙(非拘束名簿式比例代表制)において、娘のケイコ・フジモリが60万票以上の個人票を獲得して全国トップで当選し、支持の根強さも見せた。)
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