二眼レフカメラと一眼レフカメラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 00:16 UTC 版)
「カメラの歴史」の記事における「二眼レフカメラと一眼レフカメラ」の解説
「二眼レフカメラ#歴史」および「一眼レフカメラ#歴史」も参照 最初の実用的なレフレックスカメラは、1928年のフランケ&ハイデッケのローライフレックス二眼レフカメラであった。何十年も前から一眼レフカメラも二眼レフカメラも存在したが、それらは人気を博すにはあまりに大きかったが、ローライフレックスは充分にコンパクトであった。中判の二眼レフカメラのデザインはハイエンドとローエンドの両方において人気を得た。1935年のコンタフレックス等若干の35mmの二眼レフカメラもあったが、これらは成功を収めなかった。 一眼レフカメラにおけるデザインの革命は、1933年イハゲーが発売した127フィルム(ベストフィルム)を使ったコンパクトなエクサクタの発売で始まった。この後3年後に35mmのフィルムを使う最初の一眼レフカメラが続いた。35mm一眼レフカメラは接写や望遠撮影に強い特殊カメラとして一定の人気を得、そして第二次世界大戦後、さまざまな革新を施した新しいモデルが発売された。 戦後における一眼レフカメラの大きな革新はアイレベルファインダーであった。そしてそれは、最初は1947年にハンガリーのデュフレックスが実現し、1948年にはペンタプリズムを使う最初のカメラコンタックスSが発売された。これらの前は、すべての一眼レフカメラは、ウエストレベルのファインダーを備えていた。デュフレックスはクイックリターンミラーによる最初の一眼レフカメラでもあり、ファインダーが露出の後、暗くならなかった。同じ時期ハッセルブラッド1600Fの発売を見た。そして、それは何十年も中判一眼レフカメラの標準となった。 1952年に、旭光学工業(現リコーイメージング)は、135フィルムを使う日本最初の一眼レフカメラ、アサヒフレックスを発売した。キヤノン、ヤシカとニコンを含む他の日本のカメラメーカーも1950年代に一眼レフ市場に参入した。日本光学(現ニコン)のニコンFは、フルラインの交換可能な構成部品とアクセサリーを持っていて、通常、最初のシステムカメラと考えられている。それ以前のレンジファインダーカメラのSシリーズに加えて、ニコンの評判をプロ品質の機器メーカーとして確立させたのは、ニコンFであった。
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