二つのバビロン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/22 21:29 UTC 版)
「アレクサンダー・ヒスロップ」の記事における「二つのバビロン」の解説
詳細は「二つのバビロン」を参照 この本は初めに、1853年にパンフレットとして発行された。そしてかなりの改訂と増補が加えられ、1858年に書籍として刊行された。ヒスロップの作品は、雑多な「鮮やかな想像力と一緒になった中東の遺物の大雑把な知識」であるところの陰謀論プロパガンダとして記述される。 彼はローマ・カトリック教会がバビロンの密儀宗教カルト、異教だったと主張した。それに対しプロテスタントは真実のイエス、真の神を崇拝しているとした。彼はローマ・カトリックの宗教上の実践がコンスタンティヌス帝の治世において本来のキリスト教に継ぎ合わされた異教の慣習であると断言した。ここにおいて、彼はローマの国教と母子(の神々)への礼拝がキリスト教に持ち込まれ、キリスト教の人物が、異教の神話と混ぜ合わされたと称した。女神とは名付け直されたマリアであり、イエスは改名されたユーピテル・プエルあるいは「少年のユーピテル」であった。 ヒスロップの説はローマでウェヌス、フォルトゥーナと呼ばれた女神は、ブロンドの髪と青い瞳を持つ女性セミラミスを原型とするイシュタルを崇める、さらに古代のバビロニアのカルトのローマ名であるというものだった。 ヒスロップによるとセミラミスは極めて美しい女性であり、タンムーズという息子を授かった。彼女はそれを女王の地位に利用した。彼女はバビロンとその宗教を興したニムロドの妻であった。彼女は偽りの処女懐胎を完成させた。これはサタンからの促しよりイエスの誕生の先触れと呼ばれた。のちにニムロドが殺害されると、彼の子を身ごもっていたセミラミスはその子を生まれ変わったニムロドと主張した。 ヒスロップの主張では、そのカルトとセミラミス崇拝は国際的に広まり、彼女の名前は文化ごとに取り替えられた。エジプトではイシスであり、ギリシャ、ローマではウェヌス、ディアーナ、アテーナーそして他の名前の持ち主であったが、常に祈りの対象であり、バビロニアの密儀宗教を基にした信仰の中心であった。 ヒスロップによると、コンスタンティヌスがキリスト教に改宗した時、異教を存続させ、政治的利点のため、サタンの誘導のもと、二つの宗教を混ぜるべく神々と女神たちとをキリスト教的な名前に改名した。
※この「二つのバビロン」の解説は、「アレクサンダー・ヒスロップ」の解説の一部です。
「二つのバビロン」を含む「アレクサンダー・ヒスロップ」の記事については、「アレクサンダー・ヒスロップ」の概要を参照ください。
- 二つのバビロンのページへのリンク