中国の五刑とは? わかりやすく解説

中国の五刑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/15 06:41 UTC 版)

五刑」の記事における「中国の五刑」の解説

中国においては、先秦時代書物とされる『書経』・『周礼』に記されており、 墨(いれずみ)、「黥」(げい)とも 劓(ぎ・はなそぎ) 剕(ひ・あしきり)、「刖」(げつ)または「臏」(ひん)とも 宮(きゅう・去勢)、「腐」(ふ)または「椓」(たく)とも 大辟死刑)、「殺」(さつ)とも このうち大辟生命刑で他の4つ身体刑当時の用語では「肉刑」)である。 なお剕と刖と臏はすべて同意義言葉(「足切り」)であるが、具体的に3種類あり、「臏」は膝蓋骨取り去る刑をさし、「剕」はアキレス腱断ち切る刑と脚そのもの断ち切る刑の両方に使う。「刖」の字は3種類のいずれにもいう文字である。 前漢文帝時代名医として知られていた淳于意(倉公)が罪に問われ肉刑処せられそうになった際にこれを儚んだ娘が「肉刑処せられれば、更生したくても更生する事も出来ない」と訴えて父の処罰代わりに自分奴隷にして欲しいと嘆願した。これに心動かされ文帝肉刑(劓・剕)を禁止した。だが、その代替として刑罰取り入れられ鞭打ち回数増大されたり死刑該当する刑罰増加したりして却って罪人への扱い厳しくなったとの批判もされた。このため曹魏時代肉刑復活求め陳羣とこれに反対する王朗の間で激し論争が行われた。 西晋時代律令導入され以後遊牧民族影響強かった北朝において自由刑である徒刑流刑などの整備が行われた。やがて、隋に至って 笞刑(ちけい・むち打ち杖刑じょうけい・つえ打ち徒刑(ずけい・強制労働流刑(るけい・島流し死刑(しけい・死刑) の新し五刑成立するようになり、これが唐以後歴代王朝にも引き継がれる事となった。 また、近代中華民国における 死刑 無期徒役(無期懲役有期徒役(有期懲役拘留 罰金五種刑罰指して五刑と呼ぶこともある。

※この「中国の五刑」の解説は、「五刑」の解説の一部です。
「中国の五刑」を含む「五刑」の記事については、「五刑」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「中国の五刑」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「中国の五刑」の関連用語

1
刖 デジタル大辞泉
100% |||||

2
剕 デジタル大辞泉
100% |||||

3
墨刑 デジタル大辞泉
100% |||||

4
宮刑 デジタル大辞泉
98% |||||


6
14% |||||

中国の五刑のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



中国の五刑のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの五刑 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS