世界一周路線開設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 03:08 UTC 版)
「パンアメリカン航空」の記事における「世界一周路線開設」の解説
1947年6月には、世界初の自社運航による世界一周路線を試験的に開設し(ニューヨーク=ロンドン=イスタンブール=カルカッタ=バンコク=マニラ=上海=東京=ウェーク島=ホノルル=サンフランシスコ=ニューヨーク)、その後定期便として運行、東京に同年9月にはノースウェスト航空に続いてホノルル国際空港からウェーク島を経由して、連合国軍の占領下となった日本の東京国際空港への乗り入れを、また那覇空港への乗り入れをダグラスDC-4で開始した。なおこれは、同社の設立後初めての日本への乗り入れとなった。東京への乗り入れは1949年には週6便、機種もボーイング377に大型化する。 しかし、第二次世界大戦の終結後にはじまった国共内戦の結果、1949年に中国共産党の一党独裁国家である中華人民共和国が建国されたことから、子会社の中國航空公司と上海への乗り入れ権を失った。が、東京を太平洋アジア地域のハブにすることで同地域における路線網を拡大していく。 さらに翌年の1950年には、アメリカン航空の子会社のアメリカン・オーバーシーズ航空を買収し路線網とフリートを拡大した。また、ベネズエラのアベンサ航空やコロンビアのアビアンカ航空など、「アメリカの裏庭」と称されたカリブ海や南アメリカの複数の航空会社の設立、運行および経営を支援した傍ら、これらの航空会社のみならずその国の航空に多大な影響力を及ぼした。なおこのようなカリブ海や南アメリカの複数の航空会社との関係は、パンアメリカン航空の経営が傾き始めた1980年代後半に至るまで続いた。 1940年代後半にかけて、ダグラス DC-6型機やロッキード コンステレーション、ボーイング377「ストラトクルーザー」型機などの最新鋭機を次々に導入、他社に先駆けて大西洋無着陸横断路線を開設するなど、航空機の技術革新を背景に再び世界中にその路線を拡大していった。
※この「世界一周路線開設」の解説は、「パンアメリカン航空」の解説の一部です。
「世界一周路線開設」を含む「パンアメリカン航空」の記事については、「パンアメリカン航空」の概要を参照ください。
- 世界一周路線開設のページへのリンク