世界のウチナーンチュ大会
世界のウチナーンチュ大会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/12 07:53 UTC 版)
世界のウチナーンチュ大会(せかいのウチナーンチュたいかい)は、海外移民など沖縄にルーツをもつ海外の沖縄県系人を招待して開催されるイベントである。1990年に第1回が開催。その後、ほぼ5年ごとに沖縄県の主導のもと、継続して開催されている。目的は、沖縄にゆかりのある人々を結びつけた国際交流ネットワークを作り上げることにある。
注釈
- ^ 大城バネサの父は沖縄出身の沖縄系アルゼンチン人である
- ^ 後年、琉球新報は『海外ウチナー事情』と題した海外コミュニティーニュースを連載[3]。ライバル紙の沖縄タイムスは『海外おきなわ』というタイトルで毎週土曜日夕刊に紙面を割いている[3]。
- ^ 定年後もフリージャーナリストとしてウチナンチュ研究を続け、沖縄テレビ・琉球新報との報道協定・資本関係があるラジオ沖縄にて、2011年からラジオ番組『ワールド・ウチナーンチュ』(日曜夕方18:30-19:00生放送 2016年後期からはアーカイブ同時刻でアーカイブ放送)のパーソナリティーとして、これらの取材・研究の成果を披露している
- ^ 「万国津梁の鐘」の銘文の屏風は、沖縄県の第1知事応接室で使われている[6]。
出典
- ^ a b c d 新垣、オキナワ・ディアスポラ (2006, pp. 441)
- ^ a b c 山城、ウチナーンチュの生き方を探る (2010, pp. 186)
- ^ a b c 新垣、オキナワ・ディアスポラ (2006, pp. 463)
- ^ 『ワールド・ウチナーンチュ 忘れ得ぬ人々』 県系移民の生きざま追う 2020年10月25日 14:28 書評(琉球新報)
- ^ a b c d 新垣、オキナワ・ディアスポラ (2006, pp. 442)
- ^ “知事応接室の屏風について”. 沖縄県. 2016年9月21日閲覧。
- ^ a b 新垣、オキナワ・ディアスポラ (2006, pp. 443)
- ^ 第2回世界のウチナーンチュ大会 at the Wayback Machine (archived 2001年8月6日)、2023年4月24日閲覧。
- ^ ウチナーンチュ大会ホームページ at the Wayback Machine (archived 2001年11月13日)、2023年4月24日閲覧。
- ^ 第6回 世界のウチナーンチュ大会 at the Wayback Machine (archived 2016年10月30日)、2023年4月24日閲覧。
- ^ “第7回世界のウチナーンチュ大会開催日程決定のお知らせ”. 第7回世界のウチナーンチュ大会ウェブサイト. 沖縄県文化観光スポーツ部交流推進課 ウチナーンチュ大会実行委員会事務局 (2021年5月14日). 2021年11月16日閲覧。
- ^ “「第7回世界のウチナーンチュ大会」シンボルマーク・キャッチフレーズ決定!”. 第7回世界のウチナーンチュ大会ウェブサイト. 沖縄県文化観光スポーツ部交流推進課 ウチナーンチュ大会実行委員会事務局 (2021年8月27日). 2021年11月16日閲覧。
- ^ a b “ウチナーンチュ大会の経済効果、10億円 来場者は24カ国2地域から42万人”. 琉球新報デジタル. 琉球新報 (2023年3月29日). 2023年9月2日閲覧。
- ^ “テーマソング発表&表彰式開催!”. 第7回世界のウチナーンチュ大会ウェブサイト. 沖縄県文化観光スポーツ部交流推進課 ウチナーンチュ大会実行委員会事務局 (2021年11月1日). 2021年11月16日閲覧。
- ^ “5年に1度の沖縄最大級イベント「世界のウチナーンチュ大会」 1年延期へ コロナ収束見通せず”. 沖縄タイムスプラス. 沖縄タイムス (2020年8月29日). 2021年11月16日閲覧。
- ^ “「メタバース」でウチナーンチュ大会参加 世界中で感動共有 4言語対応、首里城観光も”. 琉球新報デジタル. 琉球新報 (2022年11月2日). 2023年9月2日閲覧。
- ^ TOP | 第7回世界のウチナーンチュ大会 at the Wayback Machine (archived 2022年10月21日)、2023年4月24日閲覧。
- 1 世界のウチナーンチュ大会とは
- 2 世界のウチナーンチュ大会の概要
- 3 開催の変遷
- 4 参考文献
- 5 外部リンク
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