上野の死後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 00:11 UTC 版)
ハチを飼い始めて1年余りが経った1925年(大正14年)5月21日、主人・上野は農学部教授会会議の後に脳溢血で倒れ、急死してしまう。ハチは、この後3日間は何も食べなかった。同25日には故主・上野の通夜が行われたが、その日もハチは、ジョンとSと一緒に上野を渋谷駅まで迎えに行っていたという。 その後、ハチは上野の妻、八重の親戚の日本橋伝馬町の呉服屋へ預けられたが、人懐っこい性格から店に客が来るとすぐ飛びついてしまうため商売にならず、そのため浅草の高橋千吉(高橋子之吉)宅へと移された。しかし、ハチの上野を慕う心は甚だしかったためか、散歩中に渋谷へ向かって逸走するなどのことがあるほどだった。さらに、ここでもハチのことで、高橋と近所の住人との間でもめごとが起こり、ハチは再び渋谷の上野宅へ戻されてしまう。 渋谷に戻ったハチは近所の畑で走り回り、作物を駄目にしてしまうということから、今度は渋谷の隣、豊多摩郡代々幡町大字代々木字富ケ谷(現:渋谷区富ヶ谷)に住んでいた上野宅出入りの植木職人で、ハチを幼少時から可愛がっていた小林菊三郎のもとに預けられる。 ハチが代々木富ケ谷の小林宅に移ったのは、上野が死亡してから2年余りが経った1927年(昭和2年)秋のことであった。この頃から渋谷駅で、上野が帰宅していた時間にハチが頻繁に目撃されるようになった。 ハチは小林にもねんごろに愛育されていたのにもかかわらず、渋谷駅を訪れては道行く人々を見て、食事のために小林宅に戻ってはまた渋谷駅に向かうということを繰り返していた。ハチが渋谷駅を訪れる際には、途中の渋谷大向にある旧上野邸に必ず立ち寄って、窓から中を覗いていたという。 ハチは白い犬だったが、毎日渋谷駅に来ていたため汚れてしまい、さらに当時は犬は「安産の象徴」とされており、身に付けていた胴輪を心ない人から「安産のお守り」としてよく盗まれていたため、野犬と間違われ何度も野犬狩りで捕まったが、交番で毎日ハチを見ていた警官に助けられてその度に命拾いしている。ハチは逃げるのが遅かったため、簡単に捕まっていたという。
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