上田 (上田市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/09 04:42 UTC 版)
上田 | |
---|---|
北緯36度24分32.65秒 東経138度15分40.53秒 / 北緯36.4090694度 東経138.2612583度 | |
国 |
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都道府県 |
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市町村 |
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地域 | 上田地域 |
人口 | |
• 合計 | 6,117人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
386-0001[2] |
市外局番 | 0268 (上田MA)[3] |
ナンバープレート | 長野 |
上田(うえだ)は、長野県上田市の地名(大字)。郵便番号は386-0001。
地理
上田市の上田地区に属する。北は真田町傍陽、東は住吉、南は中央東、中央北、緑が丘、西は常磐城に隣接する。南部を国道18号上田バイパスが北西から南東に通っている。昭和44年(1969年)から同46年(1971年)にかけて、住居表示事業により、中央、中央東、中央北、中央西、二の丸、天神、緑が丘が分立[4]。
沿革
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行、小県郡上田町(山口・金井・蛇沢を除く)、常磐城村、常入村が合併し上田町が発足し、古里村、上野村、住吉村と上田町の一部(山口・金井・蛇沢)が合併して神科村が発足。
- 山口・金井・蛇沢を除いた旧上田町の部分は上田町大字上田、山口・金井・蛇沢は神科村大字上田となる[4]。
- 昭和32年(1957年)8月1日 - 神科村を上田市に編入。上田市大字上田と神科村大字上田を統合[4]。
世帯数と人口
2021年(令和3年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
上田 | 2,703世帯 | 6,117人 |
人口の変遷
2005年(平成17年) | 6,207人 | [5] | |
2010年(平成22年) | 6,144人 | [5] | |
2015年(平成27年) | 6,176人 | [5] |
施設
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]。
地区 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
上川原柳、新田、山口、蛇沢 | 上田市立北小学校 | 上田市立第三中学校 |
緑が丘北 | 上田市立西小学校 | |
金井 | 上田市立神科小学校 | 上田市立第五中学校 |
脚注
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会・竹内理三編『角川日本地名大辞典 20 長野県』角川書店、1990年7月18日。ISBN 4040012003
「上田 (上田市)」の例文・使い方・用例・文例
- 上田市という市
- 上田縞という縞織物
- 上田紬という紬の織物
- 海潮音という,上田敏の訳詩集
- 日本代表の上田栄(えい)治(じ)監督は,「女子サッカーだからといって男子サッカーと違わない。世界のトップチームと戦うには,男子と同じようにプレーしなければならない。」と語った。
- 上田桃子選手(21)がシーズンの賞金女王として最年少のゴルファーとなった。
- 2007年の日本女子プロゴルフシーズン中に,上田選手は5つの大会で優勝し,およそ1億6600万円を獲得した。
- 今年は上田選手にとってプロ選手としてわずか3年目だ。
- 上田選手は来シーズン,米国のゴルフツアーに参戦する予定だ。
- 横(よこ)峯(みね)さくら選手(22)は上田選手と賞金タイトルをかけて大接戦を繰り広げ,最終的には2位に終わった。
- 授賞式で,日本サッカー協会の上田栄(えい)治(じ)女子委員長は「『なでしこジャパン』の愛称は2004年に一般の人から寄せられた案の中から選ばれた。今,私たちは来年のロンドン五輪での『金のなでしこ』をめざしている。」と話した。
- プロ女流棋(き)士(し)の里(さと)見(み)香(か)奈(な)さん(21)が5月1日,タイトル保持者の上田初(はつ)美(み)さんを破り,女王のタイトルを奪取した。
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