上条堰の流路と歴史的景観とは? わかりやすく解説

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上条堰の流路と歴史的景観

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/10 16:17 UTC 版)

上条堰」の記事における「上条堰の流路と歴史的景観」の解説

上条堰灌漑する甲斐市南部地域甲府盆地の北縁に位置する一帯東西荒川貢川画されている。荒川秩父山系から発し南流する笛吹川支流で、上条堰一ノ堰)は境・島上条中下条大下条南流し荒川右岸地域灌漑し、大下条において貢川合流する。 なお、上条堰東西には並行して分岐したニノ堰・三ノ堰、宮堰が流れ荒川から取水貢川合流する井堰は計4本流れている。なお、貢川南岸位置する大下条上河原中河原下河原地域水系異な釜無川水系から取水された井堰利用している。 現在では上条堰一ノ堰)は山梨県水産技術センター敷地内にあたる甲斐市牛句桑木原において荒川支流亀沢川より取水している。同地点は荒川扇状地扇頂にあたり荒川亀沢川合流している。取水口には水門設置されており、取水口から500メートルほど南流すると宮堰と分岐するその後県道7号線沿いに流れ、字続の八幡神社西側通過し4.5キロメートルほどの区間おおむね9か所の支路分岐して灌漑し、竜王駅近接する中央本線中央自動車道交差地点にあたる字大下条泉尾深田において貢川合流している。 上条堰灌漑する敷島地区南部地域には弥生時代からの定住痕跡見られ上条堰貢川合流地点付近に位置する金の尾遺跡弥生中期集落遺跡として知られるまた、金の尾遺跡のほかノ尾遺跡遺跡山宮遺跡など弥生時代から奈良・平安時代中世に至る遺跡連続している。 古代には盆地西部に立評され巨摩郡中核地域であった考えられており、貢川挟んだ甲府市千塚には加牟那塚古墳存在し敷島南部地域でも天狗沢瓦窯跡存在ノ尾遺跡からは金銅仏出土しているなど古代段階から集落展開していたと考えられている。律令制下では志摩荘域に比定され、中世には尾・山宮地遺跡において遺構見られるほか、中世には山岳信仰成立し御嶽道に近接する山宮遺跡からは信仰遺物出土している。

※この「上条堰の流路と歴史的景観」の解説は、「上条堰」の解説の一部です。
「上条堰の流路と歴史的景観」を含む「上条堰」の記事については、「上条堰」の概要を参照ください。

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