三井住友銀行との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 10:25 UTC 版)
「トヨタグループ」の記事における「三井住友銀行との関係」の解説
しかし、帝国銀行・東海銀行とともに、当時のメインバンクの一つだった住友グループの大阪銀行(のちの住友銀行、現・三井住友銀行)から融資を断られ、貸出金の回収に走り取引を打ち切った。結局、日本銀行の斡旋による銀行団の融資を受けている。ちなみに、当時のトヨタとの取引銀行は都銀・地銀含め25行あったが、純粋に取引を断絶したのは住友銀行のみである。 このとき、三井グループの帝国銀行(のちの三井銀行→太陽神戸三井銀行→さくら銀行、現三井住友銀行。以下同)が日銀の要請に応じ、トヨタは三井グループを構成する二木会(グループ企業の社長会)・三井業際研究所(二木会直轄のシンクタンク)・綱町三井倶楽部(グループ企業の部課長クラス以上を会員とする社交クラブ)に加盟する(経営危機以前から豊田家と三井家は縁戚関係であった)。また三井銀行から派遣された中川不器男がのちにトヨタの4代目社長に就任している。1997年に三井グループのさくら銀行(旧帝国銀行→三井銀行→太陽神戸三井銀行、現三井住友銀行)の経営不安説が流れた際は、トヨタに増資を要請する事態にまで陥った。いくらトヨタが優良企業で、かつて帝国銀行に経営危機を救ってもらったからとは言え、メーカーが銀行の救済をするというのは異例の事態であった。 また三井グループの商社の三井物産と親密で、トヨタの海外法人の設立に関与している。また「B.LEAGUE」所属で、トヨタの男子バスケットボール部を母体とするプロクラブ「アルバルク東京」の運営会社には、三井物産の子会社である三井物産フォーサイトも出資している。 反面、住友グループの大阪銀行の融資拒否の件(住友銀行の記事参照)以来、トヨタは住友グループとも関わりを一切断っていた(住友金属(のちの新日鉄住金→現・日本製鉄)・住友電工を除く)。事実、1965年においてプリンス自動車工業が経営危機に陥った際、トヨタは住友銀行から持ちかけられた合併提案を拒んでいる。その後、1966年にプリンス自動車工業はトヨタのライバル会社である日産自動車に合併された。 そして、2001年4月1日に住友銀行とさくら銀行が合併し、「三井住友銀行」が発足した際には、トヨタに対しかなりの根回しがなされた。商法の手続き上、住友銀行が存続会社となるためである。
※この「三井住友銀行との関係」の解説は、「トヨタグループ」の解説の一部です。
「三井住友銀行との関係」を含む「トヨタグループ」の記事については、「トヨタグループ」の概要を参照ください。
- 三井住友銀行との関係のページへのリンク