一条さゆりの映画出演
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「一条さゆり 濡れた欲情」の記事における「一条さゆりの映画出演」の解説
記録的不入りを記録した「かぶりつき人生」と異なり、神代のロマンポルノ初作であった「濡れた唇」の評判は上々であった。神代がロマンポルノ2作目の題材に選んだのが、当時ストリッパーとして著名であった一条さゆりであった。一条さゆりは引退興行中の1972年5月7日に「公然わいせつ」の容疑で現行犯逮捕され裁判中であった。なお一条さゆりはそれまでにも9回、同様の容疑で逮捕されていた。そして神代自身も「恋の狩人 ラブ・ハンター」の共同脚本執筆者として「猥褻図画公然陳列罪」で書類送検されていた。神代によれば一条さゆりに 同じ仲間同志、いっちょうヤリませんか と言って、映画出演を口説いた。 神代の意識としては、一条さゆりに一緒になって警察権力と戦いませんかと呼びかけたのである。「公然わいせつ」の容疑で何度も逮捕されている一条さゆりの映画出演は、それだけで神代ら日活関係者の抵抗の意思表示であった。なお、一条さゆりによれば東映からも映画出演のオファーがあったが脚本が良くないので断り、日活の神代監督からの話は「決して悪い映画では無い」と判断して出演を了承したとしている。 神代はプロデューサーの三浦朗とともに大阪で一条さゆりと会い、2日間に渡ってインタビューを行った。2日間のインタビューを終えて東京へ戻る新幹線の車中、神代と三浦は一条さゆりを主人公とした映画制作について話し合った。神代は一条さゆりを主人公とする映画に自信を持っていたが、三浦はそれでは映画が持たないと反対した。結局、静岡駅を通過する頃に三浦が「一条さゆりの出番は三分の一にして、主役は別人とする」ことを提案し、神代がその提案を受け入れ、映画の制作が始まった。 日活ロマンポルノ路線の開始直後、難しかったのが出演者の確保であった。関係者が劇団を回ってスカウトをしてみても、ほとんどの劇団でどこの女郎買いがやって来たのかという対応をされ、ひどい映画を作っていると軽蔑された。神代によれば当時、ポルノ映画に出演するということに、売春をしたり娼婦と同じくらい汚れたイメージを持たれていた。それでもまず絵沢萠子や粟津號らがスカウトに応じた。粟津號が所属していた劇団の後輩に伊佐山ひろ子がいた。伊佐山は粟津から「神代さんの台本で村川透さんが映画を撮るのだけど、出てみないか?」と誘われたことがきっかけで、日活ロマンポルノに出演するようになった。 絵沢、粟津は神代のロマンポルノ初作「濡れた唇」に出演し、伊佐山は神代が共同脚本を書き、村川透が監督を務めた「白い指の戯れ」でロマンポルノデビューを果たした。一条さゆりを起用した神代のロマンポルノ第二作には、絵沢、粟津、伊佐山に加えて、日活所属の俳優の一人であった高橋明、そしてピンク映画の世界から日活ロマンポルノに出演するようになった白川和子らが出演することになる。
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