一之瀬高橋地区と春駒とは? わかりやすく解説

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一之瀬高橋地区と春駒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 14:31 UTC 版)

一之瀬高橋の春駒」の記事における「一之瀬高橋地区と春駒」の解説

一之瀬高橋 甲府 一之瀬高橋位置 一之瀬高橋県北東部位置する標高1000メートル上の山間の集落で、「一之瀬」「二之瀬」「三之瀬」の各集落と、枝村である「落合」「高橋地区から構成される一之瀬・二之瀬地区は「シモ(下)」、三之瀬集落は「カミ(上)」と呼ばれ、ふたつの組が存在する古くから成立した一之瀬集落対し落合集落成立新しく青梅街道開通した明治10年代成立した一帯多摩川源流で、周辺山林東京都水源涵養林として管理されている。地理的に甲州市塩山東京都多摩地方埼玉県秩父地方に近い。人口平成19年2007年時点30世帯52人。過疎化進み65歳上の高齢者半数占める。生業は主に民宿経営林業土木畑作などで、冬季集落離れる人も多い。昭和30年代までは炭焼き主要な生業で、製炭組合道祖神祭りや春駒運営にも大きく関わっていた。製炭組合昭和40年解散され以来村外への人口流出加速し過疎化進んだ近辺には戦国期栄えた黒川金山所在しており、一之瀬集落黒川金山金山衆によって拓かれた集落であるとする伝承残されている。集落内には黒川山金寺が所在するほか、高橋地区には鶏冠神社里宮所在している。 一之瀬高橋の春駒一之瀬上組下組落合地区それぞれの組ごとに伝承されており、1967年昭和42年)に山梨県無形文化財指定される保存会組織され1971年昭和46年11月11日には国により選択無形民俗文化財選択された。その後1980年代には集落過疎化に伴い春駒衰退し地元小学校中学校児童・生徒への伝承活動が行われたが、1989年平成元年)を最後に途絶した平成20年4月には一之瀬高橋地区出身新会員その子供らの手により、集落から離れた市街地拠点活動再開した

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