ワイルの下で働いていた料理人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 23:24 UTC 版)
「サリー・ワイル」の記事における「ワイルの下で働いていた料理人」の解説
馬場久 - 関東大震災で当時勤めていた中央亭を追われ、仙台の弥生軒で料理人を続けていたところ、横浜に外国人シェフが起用されるという話を聞きつけニューグランドの門を叩く。後に日活国際ホテルの調理長となり、1964年の東京オリンピックでは全国から集まった500名からなる選手村の総料理長を務めた。 内海藤太郎 - 横浜オリエンタルホテルで修業し、40代で帝国ホテル総料理長を務める。53歳の時にホテルニューグランド初代会長、井坂孝によりホテルニューグランド初代スーシェフとして日本人の責任者を務める。 入江茂忠 - 戦後になってニューグランドの二代目総料理長をおよそ半世紀にわたって務める。 小野正吉 - 1936年、東京ニューグランド入社。後にホテルオークラの総料理長となり、帝国ホテルの村上信夫と共に1970年代から90年代の日本におけるフランス料理界の牽引役と評価される。 木沢武男 - プリンスホテル系のホテル全体の総料理長となる 本堂正巳 - 札幌パークホテルの料理長となる 渡仲豊一郎 - 銀座『みかわや』店主 平田醇 - 銀座『エスコフィエ』の店主 大谷長吉 - 東京都文京区春日にサリー・ワイルのニューグランド時代のあだ名であるフランス菓子専門店"エスワイル"(S. Weil)を開く。この店からは、帝国ホテルの製菓部長となる加藤信(現・二葉製菓学校校長)をはじめ、横溝春雄(『リリエンベルグ』)、吉国奈緒美(『ボンヴィボン』)など、多くの名菓子職人を輩出した。
※この「ワイルの下で働いていた料理人」の解説は、「サリー・ワイル」の解説の一部です。
「ワイルの下で働いていた料理人」を含む「サリー・ワイル」の記事については、「サリー・ワイル」の概要を参照ください。
- ワイルの下で働いていた料理人のページへのリンク