ロンドン橋の崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 23:27 UTC 版)
「ロンドン橋落ちた」の記事における「ロンドン橋の崩壊」の解説
ロンドン橋が造っては流されたということが繰り返されたのは、10世紀から12世紀にかけてのことであり、ヘンリー2世時代の1209年に石造りの橋が完成してからは、橋の崩壊はなくなり、1832年に架け替えられるまで、600年以上もその堅牢さを保った。しかしこの石橋の上には礼拝堂や民家・商店が立ち並んでおり、それらが火事で焼失することはあった。さらに、1553年には、ヘンリー8世による宗教改革により、橋の上の礼拝堂が取り壊された。こうした出来事を、橋が「落ちた」「壊れた」と捉えたのではないかとする説もある。 また、天災だけではなく、次のように人の手によって壊された話も伝えられている。1014年(または1009年)、デンマーク王スヴェン1世(ノルウェー王も兼ねていた)はイングランド遠征を行い、戦列に加わっていたノルウェーの前王家の王族であるオーラヴ(後のノルウェー王オーラヴ2世)にロンドンの攻略を命じた。このときオーラヴ2世は守兵が立て籠もるロンドン橋にロープをかけ、軍船で引っ張り落としたという。歌詞はこの出来事を元にしているいう説もある。 それを裏付ける文献もある。この出来事が記されている古代スカンジナビアの冒険談『ヘイムスクリングラ』は、サミュエル・レインによって翻訳され1844年に発表された。そこにはオッター・スヴァルトの詩が収められているが、この詩の1行目とロンドン橋の詩とは類似性がある。 London Bridge is broken down. —Gold is won, and bright renown.Shields resounding,War-horns sounding,Hild is shouting in the din!Arrows singing,Mail-coats ringing —Odin makes our Olaf win! しかしながら現在では、スヴァルトの詩の原文にはロンドン橋への言及がないことが明らかになっている。つまりレインの翻訳は、すでに知られていたロンドン橋の歌を原文に組み込んだ、かなり自由なものであったことが分かる。そのため、これが詩の元になったというのは疑わしい。さらには、オーラヴによるロンドン橋の破壊が行われたこと自体を疑う歴史家もいる。
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