ロシア預金戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 14:54 UTC 版)
1841年、ニコライ1世がズベル金庫を設立した(Sberkassa)。これはドイツ系のロシア官僚ゲオルク・フォン・カンクリン(Georg von Cancrin)が行った金融改革であった。クリミア戦争後、ロシアでは近代化を目的とした性急な投資が行われ、1858-9年に銀行危機がおこった。ズベルバンクの前身たる銀行群は、貴族らの所領を担保とした貸付を停止した。これが抵当流れや所領の国有化に発展するかどうか、政治問題として長いこと議論されて農奴解放令という妥協点が見出された。政争のさなか1860年に国立銀行が設立されて、そこへズベルバンクとなるズベル金庫が編入された。1862年、業容は人口7000万に対して14万口座と合計預金850万ルーブルしかなかった。しかしドイツから人、物、そして金が流れてきて、この銀行ネットは拡大していった。1880年代には特に大きく成長した。1895年には4000支店と個人口座200万を抱えるほどになったが、1890年代の拡大には露仏同盟も影響した。1895年セルゲイ・ヴィッテが推進した金融改革で金本位制が採用されて、ロシアに外資預金をひきつけた。日露戦争の戦費は公債で賄われたが、それは基本的にズベル金庫が保証した。預金している国が交戦していなければ、そういうことができるのである。第一次世界大戦では預金しているドイツとフランスが敵対した。ロシア政府は政府紙幣を発行するしかなくなった。こうして軍需物資の不足したことがロシア革命を早めた。革命者レーニンは銀行立国スイスに亡命していた。
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