ロシアとウクライナによる「所有権」争い
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「ニコライ・ゴーゴリ」の記事における「ロシアとウクライナによる「所有権」争い」の解説
ゴーゴリの生誕200周年にあたる2009年、ロシアとウクライナの間でゴーゴリの「所有権」争いが勃発した。 ゴーゴリが作家活動を送った地であるロシアでは、首都モスクワに初めての「ゴーゴリ博物館」がオープン。またザポロージャ・コサックとポーランド・リトアニア共和国との戦い(フメリニツキーの乱)を描いた小説『タラス・ブーリバ』が映画化されるなどした。 一方ゴーゴリの出身地であるウクライナでは、映画がザポロージャ・コサックをロシア人として描いており、ロシア民族主義を前面に押し出したものだとして反発。2009年4月1日に開催された「ゴーゴリ生誕200周年記念式典」ではヴィクトル・ユシチェンコ大統領(当時)が「ゴーゴリは疑いなくウクライナのものだ。彼はロシア語で執筆したがウクライナ語で思索した」と持論を述べた。ゴーゴリの全作品をウクライナ語訳する試みもあるが、ロシアの文学者たちは「ウクライナ語訳はオリジナルを損ねる」と反発している。青年時代からゴーゴリはウクライナ贔屓で、ネージン時代にはウクライナ語による戯曲を創作したことがあり、ペテルブルクで人気の作家になってからもロシアでの生活に馴染みきれず故郷の習俗や言語への愛惜の念を終生失わなかった。 なお晩年のゴーゴリはウクライナ語文学に対して批判的であり、ウクライナ語で詩作した詩人タラス・シェフチェンコに対し、「われわれはロシア語で書くべきなのだ。われわれ全スラブ人にとって主権を有するロシア語を擁護し、強固なものにしてゆかねばならない。プーシキンの言葉こそが唯一主要な聖物なのだ」と苦言を呈している。
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