ロシアとの関係修復
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 03:30 UTC 版)
「エドワード7世 (イギリス王)」の記事における「ロシアとの関係修復」の解説
1866年11月、ロシア皇帝アレクサンドル2世の次男アレクサンドル皇子(後のロシア皇帝アレクサンドル3世)がデンマーク王女マリー・ダウマー(愛称ミニー)と結婚した。ミニーはアリックスの妹であり、この結婚式にはバーティも出席したがっていたが、英露関係はクリミア戦争やアジアにおける植民地争いのために悪化していたため、女王が強硬に反対した。だが時の保守党政権の首相第14代ダービー伯爵エドワード・スミス=スタンリーはロシアとの関係改善を企図していたので皇太子訪露に前向きであり、女王の説得にあたった。その結果、バーティは11月6日にロシアを訪問することになった(アリックスは妊娠中だったので出席を見合わせた)。ロシア側は英皇太子の訪露が実現するか固唾をのんで見守っていたのでバーティ訪問が決定すると大喜びし、皇帝自らが駅まで出迎える大歓迎を行った。11月9日の結婚式でも特等席に案内された。 バーティ訪露に際してロシア側はガーター勲章をロシア皇帝に贈ってほしいとイギリス政府に要請していたが、ヴィクトリア女王が「オーストリア皇帝にもまだ贈られていないのに変則的にロシア皇帝にだけ先に贈られるというのはおかしい」と反対したため、この時は沙汰やみとなった。しかしバーティは贈ってやりたいと考えており、外相スタンリー卿エドワード・スタンリー(後の第15代ダービー伯爵)と協力して、女王の説得にあたった。その結果、女王はオーストリア皇帝とロシア皇帝がそろって出席する1867年6月のパリ万国博覧会の席で両皇帝に同時にガーター勲章を贈ることを許可した。ロシア皇帝はバーティの配慮に深く感謝し、英露関係は一定の改善を見た。
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