レーシュヤー - 霊魂の色付け
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/27 05:44 UTC 版)
「業 (ジャイナ教)」の記事における「レーシュヤー - 霊魂の色付け」の解説
詳細は「レーシュヤー」を参照 ジャイナ教のカルマの理論によれば、カルマの物質は霊魂に、行動の背後にある精神的活動に基づいて色(レーシュヤー、leśyā)を付与する。霊魂への色付けは水晶の類推によって説明される。水晶は自身と結びついた物質の色を自身の色とする。同様に、霊魂も自身に結びついたカルマの物質の味、匂い、感触を反映するが、ただし、「レーシュヤー」について論じる場合は大抵色について言及される。『ウッタラーディヤヤナ・スートラ』(34.3)では、六つの色、黒、青、灰色、黄色、赤、白であらわされるレーシュヤーの六つの主なカテゴリについて語られている。黒、青、灰色は不幸のレーシュヤーであって、不幸な存在への転生へと霊魂を導く。黄色、赤、白は幸運のレーシュヤーであって、幸運な存在への転生へと霊魂を導く。『ウッタラーディヤヤナ・スートラ』では黒色のレシュヤーの人間と白色のレーシュヤーの人間の精神的気質について記述されている: 一次の衝動に突き動かされて五つの罪を犯すものは三つの「グプティ」を持っておらず、六(種類の生物)を傷つけるのをやめず、冷酷な行いを企て、狡猾にして暴力的で、結果の伴わないことを恐れ、悪意に満ちていて自分の知覚を抑え込んでいない―このような人は自分の黒のレーシュヤーを育てているのだ。 — 『ウッタラーディヤヤナ・スートラ』, 34.21:22 自分のみじめさや罪深い行いについて考えるのやめ、法則や真理についてだけ沈思黙考するものは心が落ち着いていて、自制心があり、「サミティ」と「グプティ」を実践しており、まだ情動にあらがっているか情がなくなっているかに関わらず、心静かであり、自分の知覚を抑制している―このような人は自分の白のレーシュヤーを育てているのだ。 — 『ウッタラーディヤヤナ・スートラ』, 34.31:32 ジャイナ教の聖句ではさらに果実の実った木を見た六人の旅人の反応の例え話を使ってレーシュヤーの効果について述べられている。その話は、旅人達が実をつけた木を見てその実をとろうと考え始めるというものである。一人目は木全体を地面から引き抜いて果実を食べようと提案する。二人目は木を幹から切り倒そうと提案する。三人目は枝だけを切ろうと提案する。四人目は小枝だけを切って太い枝や木本体は残しておこうと提案する。五人目は果実だけを摘もうと提案する。そして六人目は、ひとりでに落ちた果実だけを取り上げようと提案する。六人の旅人それぞれの考え、言葉、具他的行動は彼らの精神的気質に基づいて異なっており、それぞれ六種のレーシュヤーの例示となっている。一方の極端は黒のレーシュヤーを帯びた人であり、邪悪な気質、考えを持っていて、一つの果物を食べたいというだけで木全体を根こそぎ倒そうとする。もう一方の極端は白のレーシュヤーを帯びた人であり、済んだ気質を持っていて、木を残しておくために落ちた果物を拾おうと考える。
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