ルンズ・ブリストル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 03:19 UTC 版)
「ブリストル磁器」の記事における「ルンズ・ブリストル」の解説
ベンジャミン・ルンドは、ブリストルのクエーカー教徒で、真鍮の鋳造師として働いていた。1748-1749年3月7日、ルンドは石鹸製造のライセンスを取得し、その頃に磁器製造の開始を模索し始めた。1750年、リチャード・ポコック博士の手紙には、コーンウォール、リザード(英語版)付近で、「磁器を製造するのに相応しい場所 ... いわば彼ら(ルンド)は現在ブリストルで行っている磁器製造で1tあたり5ポンドの利益を生む」鉱床を発見したことを報告した。コーンウォール産のチャイナストーンは1745年頃、クエーカー教徒のウィリアム・クックワーシー(英語版)(1705 - 1780)によって初めて注目を浴び始めた。そして、クックワーシーはプリムス磁器を製造し始め、ブリストルでの次世代の工房とするべくブリストルへ移動した。クックワーシーの家族はブリストルに帯同し、ルンドとクックワーシーはクエーカー教徒同士で知り合いであったことが知られている。 ルンドには、「食料雑貨商人で銀行家」であるウィリアム・ミラーというパートナーが存在したが、これはルンドが当時破産していたため、ルンドがミラーに頼ったことが背景にある。この工房は以前はローディン氏が借主であったが、1745年に亡くなっていて、磁器事業に携わっていなかったが、初期の考古学者はその背景を認知しておらず、当時の資料では幻の「ローディン磁器製造所」であったと不明瞭に掲載されていたことがある。 工房は1752年半ばまでブリストルでの操業のみであったが、ウォール博士とウースター磁器の協力者が事業を買い取り、すべての機能をウスターに移した。1748年?から1752年にかけて、ウスターでなくブリストルで製造されたことが確認されている陶磁器は少数であるが、ソース・ボートや、当時の中国人男性を模した像や、「Bristoll」の文字を形どった製造物が現存する。ソース・ボートとその受け皿は、銀細工で製造されていた形状を転用したもので、最も普遍的なブリストル磁器の作品の一つである。磁器の装飾は、下絵付(英語版)で(ほとんどがひどくにじんだ粗目のシノワズリ模様が多い)青色に絵付をし、上絵付(英語版)を行う2工程の技法であった。磁器の素地は2種類に分類され、釉薬の配合も時代が進むにつれ変更されてゆき、品質の高い製品が作られるようになった。
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